本記事は、澤口俊之氏の著書『仕事力が劇的に上がる「脳の習慣」』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています

前頭前野の若返りと知能の向上

ジョギング
(画像=siro46/stock.adobe.com)

記憶は知能(特に、知識・経験という記憶を活用する結晶性知能)の重要な基礎で、知能の脳内中枢は前頭前野です。では有酸素運動で前頭前野はどうなるか? という研究も当然ながらかなりなされました。前頭前野の老化は海馬よりもむしろ早く(20代から)始まるので、有酸素運動による「脳の若返り」も気になりますし。

そして、やはり、比較的初期の研究で、海馬と同様に、有酸素運動(ウォーキング)によって、前頭前野が発達する(拡大する)ことが分かりました。他の脳領域で大きくなった部位はほとんどないかごく小さく、研究者たちは(予測通りとは言え、驚いたせいか)前頭前野における広範囲の拡大を強調しています。

さらに、有酸素運動(ウォーキングやジョギング)で、前頭前野が若返ることも多数の研究で実証されています。

加齢で前頭前野は概して小さくなりますから、「有酸素運動による前頭前野の拡大」は前頭前野の若返りと言えますが、加齢(脳年齢)の指標は大きさだけではなく「効率」があります。一言で言えば、若いほど前頭前野の効率は高く、加齢に伴って非効率になってゆくんです。

例えば、同じ認知機能を使う際に、高齢になると(元々血流量は加齢で少なくなっているのに)より多くの脳血流を使ったり、左右脳の血流を同程度に使うようになったりします。つまり非効率化です(旧式のクルマでは燃費が悪い、つまり、同じ距離を走るのに多量のガソリンが必要、といった感じです)。

ところが、有酸素運動によって非効率性が減弱し、前頭前野の効率性が良くなることが分かったんです。まさに若返りですね。

脳老化には脳の血流量の低下が相当に関与しますが、有酸素運動によって前頭前野の脳血流が増えることも(当然と言うべきか)実証されています。このデータも「有酸素運動による脳の若返り」とみなすことができます。

有酸素運動による前頭前野のこうした変化(拡大や効率化、血流増加)によって、前頭前野が担う知能・認知機能も当然ながら向上します。

例えば、1日20分ほどのジョギングによって、数か月で知能テストが1.7倍も向上するとか、ウォーキングやジョギングなどの有酸素運動を日常的にしている人たちでは知能(一般知能を含むHQ)が高いというデータが得られています。まさに、有酸素運動は前頭前野の知能を向上させるんです。

もちろん、前頭前野が担う各種認知機能も同様で、有酸素運動によって注意力や自己制御力、問題解決能力、あるいは創造力などが向上するという証拠があります。

「有酸素運動? そんなのは高齢者とか認知症予防に効果があるだけなんじゃないか?」と言われそうですし、有酸素運動関係では高齢者での研究や認知症予防をテーマとした研究が比較的多いのは確かです――認知症の兆候は30〜40代から(場合によっては10代や20歳頃から)出てきますから、認知症予防は決して高齢者に限って重要なわけではありませんが…。

認知症はともあれ、若年成人でも中年成人でも、特に前頭前野の老化は起きますし、長引くストレスや不安などで前頭前野が委縮することは若い人でもあります。若年成人や中年で発症することが多いうつ病でも前頭前野の血流量が減り、前頭前野が委縮することもあります。

そうした背景もあって、有酸素運動と前頭前野の構造・機能との関係を若年〜中年成人で調べた研究もかなりあって、それらの結論は以上に述べたものと同様です。例えば、20代前半の若年成人が10分間の中程度のランニングで、前頭前野が活性化し前頭前野の認知機能が向上したという研究も比較的最近でもあります。

有酸素運動によって、若年~中年成人でも前頭前野が若返り、前頭前野の知能・認知機能が向上する、ということですね。精神健康も当然ながら向上し、不安や抑うつなどが改善します。

ただ、当たり前かもしれませんが、若年・中年層で効果的なのは高齢者よりも強い有酸素運動で、具体的には毎日20~30分ほどのジョギングやランニングです(20代前半では前頭前野が未熟なせいもあって10分でも可:高齢者では毎日20分ほどのウォーキングですね)。

運動系部活経験者は知能が高い?

有酸素運動によって知能や認知機能が向上することは子どもや10代でも示されています。

脳の衰退期である高齢者によい営為は脳の発達期である子どもにもいい、という「法則」みたいなものがあって、有酸素運動はその典型です。しかも、子どもでの研究が増え始めた年代も似ていて2010年頃からです。

子ども関係はテーマと外れるので流石に詳述しませんが(お子さんをお持ちの読者も相当数いると推測できるとはいえ)、歩く・走るなどの有酸素運動によって脳の発達が促され、逆に、脳が発達すると身体運動も発達する、というのが原理です。

このことは乳児の歩行を参照しても明らかなことです。脳がある程度発達すると二足で歩き始め、二足歩行で脳が発達するので二足歩行は(他の身体運動も)スムーズになり、やがて二足走行し始め、二足走行で脳が発達するので、身体運動も(他の脳機能も)発達する……、という成長過程があります。実際、歩く・走るなどの有酸素運動をよくする子どもの脳は大きい、というデータがあります。

この成長過程はまさに進化的なもので、幼少期には歩く・走るという有酸素運動を十分にして、適応のベースである遊び(自発的な探索行動)をするだけで、脳も知能も発達します。

遊びの重要性は先にも多少述べましたが、遊びは有酸素運動のみならず好奇心(知能と深く関係)が伴うので、その重要性は強調してもし過ぎることはありません。「幼児期に自発的によく遊んだ子どもは、難関大学に合格する確率は1.6倍~1.8倍高い」という調査研究が日本で(2014年に)公表されたことも先述した通りです。

有酸素運動の重要性は小学生以降でも示されていて、例えば、アメリカの小学校での研究で、毎日「15分ほどの付加的な運動(放課後体育授業)」を課したところ、数年でほぼ全ての科目で学力が向上した、という調査研究があります。

こうした研究を「介入研究」と言いますが、「運動を課す」といった介入をあえてしない非介入的調査研究もあって、調査時点からの有酸素運動能力の変化と学力変化を中学生で調べたところ、走行系の有酸素運動能力が向上した子どもは学力も向上し、逆に、有酸素運動能力が低下した子どもたちは学力が低下しました。この関係はかなりキレイ(線形的)で、有酸素運動の向上・低下の程度が大きいほど学力の向上・低下が大きいという結果でした。

さらに、やはり中学生の研究で、筋力とは無関係に有酸素運動の能力が高いほど知能が高い、というデータが得られています。

高校生でも同様で、部活などで有酸素運動をよくする高校生ほど知能・各種認知機能が高く、高学歴になり、社会人になってからの収入が多いことが分かっています。ただし、あくまでも有酸素運動であって、筋力の程度はやはり無関係です。大学でも有酸素運動をよくする学生は知能が高いというデータがあるので、運動系(有酸素運動系)の部活を中学校や高校、大学などでした学生は知能が高いことはほぼ明らかです。

なので、新入社員に知能(一般知能を含む人間性知能HQ)の高さを求めるなら、採用試験などで有酸素運動系部活の経験の有無・程度を調べるのもいいかもしれません。

有酸素運動は不得意分野を克服する可能性も

脳には当然ながら個人差があります。脳の中でも前頭前野の個人差は特に大きく、同じ暦年齢でも脳年齢に相当な個人差があることはその端的な例です。

前頭前野は知能の脳内中枢ですから、知能に個人差があることは今さらあえて述べることでもないでしょう――有酸素運動で前頭前野が若返り知能が向上することは先述した通りですし。

ただ、多少なりとも注意すべきなのは「知能構成の個人差」です。例えば、学力は知能の構成要素の一つですが、学力がいくら高くても社会人になってから社会的にドロップアウトする人たちがいるのは、知能の他の(学力よりも重要な)構成要素が低いせいです。

知能は、本来適応力なので、自分の知能構成・各種認知機能の高低を認識したり参照したりする、という能力を含みます(専門的にはメタ認知とも言います:ソクラテスの「無知の知」みたいな認知機能ですね)。

なので、知能が高ければ、自分の得意・不得意な知能要素・認知機能が分かりつつ(参照しつつ)、社会環境に適応するように行動したり計画を立てたりします――具体的には、自分に合った仕事分野選びなどですね。ちなみに、既存の会社に就職するよりも起業に向いている人たちも科学的に知られていて、遺伝子や脳レベルでの違いがあります。そういう人たちは(知能が高ければ)起業して成功する可能性が高いことも分かっています。

とはいえ、不得意な仕事をすることになったり、これまでとは認知機能的に違った分野で働くことになったりすることも往々にしてあります。

本来なら、自分の得意な仕事・分野で働いたり作業をしたりした方がよいことは明らかです。脳的にもそうで、得意な認知機能ほどより向上し易いことが分かっています。そのおかげで社会的・仕事的に成功すれば益々よくて、成功が次の成功につながります。

逆に、不得意な分野での失敗は相当な悪影響で「失敗から学ぶ」ということもほぼなくなるので、悪循環に入ってしまう可能性があります(失敗から学ぶことは確かにありますが、この言説は科学的には極論です)――知能が高ければ、そうした悪循環にそもそも入らないでしょうし、仮に入ったとしても抜けられるはずですが、全ての人が高知能なわけではありません。

そういう観点から見ても、有酸素運動はやはり相当によく、不得意分野・不得意認知機能を「克服」する効果をもちます。

前頭前野は「脳の監督役」ですし、監督はチームの構成メンバー・ポジションの高低を把握しつつ修正して勝利に導こうとします。有酸素運動はその前頭前野を発達させ、知能を向上させますから、不得意分野の克服に有酸素運動が有益なのは当然と言えば当然です。

そして、現実場面でも、有酸素運動が得意分野よりも不得意分野をより大きく向上させることが分かってきています。

この種の現実場面的研究(フィールド研究)は、仕事内容がほぼ固定している成人では難しいので(得意か不得意かも定量化し難いですし)、勉強が「仕事」みたいな生徒を対象とした研究が主ですが、国語や外国語、数学、理科、社会などの科目の成績変化を調べ、有酸素運動能力の変化と比較した調査研究があります。

その調査結果はかなり面白く(というか、予測通りで)、走行系の有酸素運動能力の変化(2年後)は得意科目よりも不得意科目の成績とより強く関係し、有酸素運動能力がより高くなるほど不得意科目の成績が向上しました。

これらの科目には共通に使う知能要素も当然ながらありますが、異なった知能要素・認知機能も使います。国語と数学では相当に違いますし、外国語と社会、あるいは理科でもそれなりに違った知能要素・認知機能を使います。

有酸素運動は知能を全体として向上させるのみならず、不得意な知的要素・認知機能をより向上させるわけですね――ただし、成人での現実場面でのデータは未だ不足していますから、仕事での不得意分野を「確実に克服する」とは言えませんが、その可能性はかなり高いです。

有酸素運動が知能・認知機能向上のまさに「王道」であることは、こうした観点・データからもやはり明らかです。

あくまでも歩行・走行:上半身ではほぼ無意味

重視しているのは「進化的原理」で、有酸素運動もそうです。「現生人類の脳や知能が進化的に発達したのは、狩猟の本格化に伴って多量の有酸素運動が必要になったせいであり、逆も真(知能・脳が発達したせいで、多量の有酸素運動が必要な狩猟が本格化・高度化)」という主張も2010年代後半になされています。

狩猟採集での主要な有酸素運動は歩く・走るなので、知能や前頭前野の向上・発達に効果のある有酸素運動は歩く・走るか、歩く・走るをベースにした有酸素運動であって、上半身の有酸素運動はほぼ無効果です――かなりよさそうな有酸素運動である水泳にしても、有益という「主張」はあっても論文はごく少なく、「今後の科学的研究が必要」と近年(2021年)でも指摘されています。

歩く・走ることの良さ(重要性)は、意外な所からも示唆されました。宇宙飛行です。

無重力での宇宙飛行では運動不足を解消すべく色々な運動をすることは周知の通りです。ところが、宇宙から帰還した後に調べると脳機能・認知機能や神経系全般が低下していることが往々にしてあるんです。

そこで、「こうした低下は、重力に逆らった運動、つまりは歩く・走るが大幅に減少したせいではないか?」という仮説での研究がそれなりに行なわれ、有名なのはネズミ(マウス)を使った研究です――動物実験なら比較的詳細に研究できますし、「後脚(足)を使うことのよさの進化的根強さ」にもアプローチできますから。

そのマウス実験では約1か月間後脚での運動をできないように制限して(ただし、自由に運動も生活もできて余分なストレスも無い状態)、脳にどのような変化が起きるか調べたところ、後脚運動を制限しなかったマウスに比較して、脳室下帯の神経幹細胞の数が70%も減少し、また、オリゴデンドロサイト(グリア細胞の一種)が十分に成熟しませんでした。そして「体重をかけた後脚の運動は、神経細胞の生産に不可欠な信号を脳に送っている」と結論しています。

非専門家の方は「何のこっちゃ」と思われるかもしれませんが(脳室下帯って何? オリゴデンドロサイトって何? とか)、動物実験では詳細に調べられるという利点があるので、研究者的には面白いのですが、非専門家的には分かり難い(ツマラナイ)という側面もあるかもしれません。それで、一般向けの話(講演を含めて)では動物実験の研究話は避けることが多いんですが、この動物実験はやっぱりとても面白いです。

簡単に言えば、前脚での運動を自由に行なっても後脚での運動には到底敵わず、足を使った「歩く・走る」という(進化的にも普通の)運動が、脳の発達(神経細胞の増加と脳機能維持のためのグリア細胞の成熟)を促す信号を脳に送る、ということです。

人間でも(そして若年・中年成人のみならず、高齢者でも)脳の神経細胞が増えることが(オリゴデンドロサイトというグリア細胞が脳機能に重要なことも)分かっているので、この動物実験の結果は人間にあてはまります。

やっぱり相当に面白くも重要な研究です。認知機能・脳の向上・発達にはストレッチ体操では無意味とか、歩く・走るという足系の有酸素運動のよさがヒト研究では繰り返し示されてきた、という研究的経緯と整合性をもちつつそれらを発展させたという意味もありますし。

念のため補足すると、いくら有酸素運動(歩く・走る)が脳によいとはいえ、運動のし過ぎは脳にはかえってマイナスです。

この辺のことは年齢差や個人差もあって研究的に多少ゴタゴタしていますが、1日20~30分程度が適当かつ十分で、1時間を超えると精神健康上かなり悪影響が出てきてしまいます。

ただ、やはり個人差や運動強度との関係もありますから、ちょうど睡眠時間のように「自分に合った時間」を見つけるのがいいと思います――ご存知のように睡眠時間にはWHOが推奨する時間があって、研究的には中年層の場合では7時間がベストで、それより長すぎても短すぎても認知機能や精神健康が低下するとか、6時間以下だと後年に認知症が発症するリスクが30%も高まるといったデータがありますが、睡眠の最適時間には個人差が30分刻み程度であって、7時間がベストの人もいれば7時間30分や6時間30分がベストの人もいます。

有酸素運動の場合、「30分刻み」では長すぎるので、5~10分刻みで自分(の脳)に合った時間を見つけて下さい。

POINT
○有酸素運動を日常的にすることで知能や認知機能が向上する
○若年・中年層では毎日20〜30分ほどのジョギングやランニングが効果的

仕事力が劇的に上がる「脳の習慣」
澤口俊之(さわぐち・としゆき)
1959年東京都葛飾区生まれ。1982年北海道大学理学部生物学科卒業。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。1988年米国エール大学医学部神経生物学科にリサーチフェローとして赴任。京都大学霊長類研究所助手、北海道大学文学部心理システム科学講座助教授を経て、1999年北海道大学大学院医学研究科教授。2006年人間性脳科学研究所・所長。2011年武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部教授兼任。2012年同大学院教授兼任。専門は神経科学、認知神経科学、社会心理学、進化生態学。理学博士。近年は乳幼児から高齢者まで幅広い年齢層の脳の育成を目指す新学問分野「脳育成学」を創設・発展させている。フジテレビ「ホンマでっか!? TV」、NHK「所さん! 大変ですよ」等、TV番組にも出演。著書は『脳を鍛えれば仕事はうまくいく』『夢をかなえる脳』『幸せになる成功知能HQ』など多数ある。

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