本記事は、藤井聡氏の著書『人を動かす「正論」の伝え方』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています。

1人でも多くの「他者」を動かすには?

チームワーク
(画像=PIXTA)

正論を通して、少しでも理想に近づくためには、多くの人に賛同してもらわなければなりません。ただし、多勢に無勢、道理が引っ込んでいる世の中では、なかなか思うようにはいきません。

いまの世の中、いきなり正論が通って理想が実現するということは、まずありません。理想と現実のかい離を、何とか埋めようとする努力が不可欠です。

一歩一歩が大事なのです。

ただし、そうした地道な努力が、たとえばダイエットのように、自分だけがこだわる話なら、自分でやると決めて自分で実行するだけでよいのですが、社会の中で理想を実現しようとする場合、そういうわけにはいきません。1人でも多くの「他者」に動いてもらわなければならないからです。

それが研究室の中であっても、オフィスであっても、自治体や政府であっても本質は同じです。

一人ひとり、共感者、賛同者を増やしていくこと。

そこには正論に対する深い思いがなければならないことは、何度もお話しした通りです。その思いと物語が、人を感化し波紋のように広がっていくのです。

社会学で「限界質量」という言葉があります。

もともと物理学の言葉で、ある種の質量が一定の量を超えると質的な変化をする、その際のギリギリの質量のことです。「閾値しきいち」と言った方がわかりやすいかもしれません。ある変化を起こさせる最小の量という意味です。

正論が世の中に認められるかどうかも、この限界質量=閾値が関係しています。

それまでは多くの人に否定されていたり、無視されていたりする考え方も、それに賛同する人たちがある一定の人数を超えると、それが正論として、一気に世間全体に広がり、スタンダードな世論になる

マーケティングでは、宣伝広告やキャンペーンなどを大々的に行って商品の認知度をアップする戦略がとられます。利用者が一定の閾値を超えることで、一気にスタンダード商品として、シェアを拡大することがあります。

私が正論を正論として認めてもらう活動の中で、意識しているのがこの「限界質量」という閾値なのです。とにかく、それを超えることを頑張って目指しているわけです。

マスメディアなどをたくさん活用して、一気にその数を達成することも可能でしょうが、いきなりそんな「飛び道具」を使える人は限られています。それこそそれまで社会的に認められていた考え方に対して異議を唱える場合など、多勢に無勢、メディアもなかなか味方してはくれません。

そこで、地道ではありますが、一人ひとりに自分の意見を聞いてもらい、少しずつ賛同者を増やしていくという活動になります。

そして、このことは大学においても、会社の中でも、社会全体であっても変わらないことだと考えています。

自分と一心同体の「コア層」を作る

簡単に言うなら、正論を通すということは、仲間を作り広げていくということです。

仲間と言っても、そこにはおのずと階層があります。私自身は、大きく4つの層に分けて考えています。すなわち中心である自分から距離の近い順にコア層、ミドル層、周辺層、そして赤の他人です。

コア層」というのは私にとっては家族であり、親友であり、研究室の人たちです。また私が編集長を務める雑誌『クライテリオン』の編集部のスタッフ等もそうです。

このコア層は、自分の意見を自分と同じように信じ、一心同体で動いてくれる人たちです。一番近くて大切な仲間であり、自分にとっては正論を広げるための拠点であり、いざとなったらいつでも帰ってこられる、ふるさとのような存在です。

このコア層を、まずはしっかりと作り上げることがとても大切です。

もしあなたが、会社の中で、あるいはコミュニティや地域社会の中で、何かしらの意見を通したいと考えたなら、まずコア層を作ることです。

一番信頼できる人物、いつも一緒にいる人物に自分の考え方をふだんから話すようにする。直属の上司でも、同僚でも、あるいは部下でもいいでしょう。

自分の意見に対する理解と賛同を得られたら、それをどうやって広げ、正論として他に認めてもらうか(そして、必要に応じて正論に修正を加えるべきか)を一緒になって考えるのです。

この階層の人たちとの間では、変に妥協せず、徹底的にお互いが話し、互いに意見の違う点、考え方の違う点を認めつつ、理想を実現するという高次の目標を共有しておくことが極めて重要です。

解釈学的循環や、アウフヘーベンということがここでもポイントになります。もし、これができないならば、無理してその人とコアの仲間としてやっていくことは時に諦めることも必要だ、という認識も必要でしょう。

なぜなら、これから長い敵との闘いや、他の層の人たちへのアプローチの中で、関係がほころびコア層全体の結束が揺らいでしまうことになりかねません。

志を1つにして、同じ方向を向くのです。

たとえば私は、当方のコアの組織である「研究室」でこれを徹底しようと考えてきました。最近でこそ、学生と年齢が30以上も離れてきましたから、直接学生と認識の共有を徹底的に図ることが以前よりは難しくなってきてはいますが、かつては1人1、2時間、長い時には4、5時間ずつ2人だけのゼミをやって、認識の共有を徹底していました。

今日でも、そこまでの時間を割くことは難しくなってきていますが、それでも今の准教授、助手の先生たちを介して「一心同体」となるための努力は最も大切な取り組みの1つと認識しています。

いずれにせよ、チームとは1つの有機体です。ですから一つの理想や思想のもとで、緊密につながっていなくてはならないのです。まずは核=コア層の結束をいかに高めるかが勝負なのです。

コア層は、自分がつねに帰ってくることができる場所です。(理想的に言うなら)真の同志であり、心を許し合い、運命を共にできる仲間たちがいる懐かしいふるさとです。

このつながりと存在があるからこそ、難敵や無関心な世間の冷たい目にも、めげずに立ち向かっていくことができます。

いつでも帰ってこられるから、戦いに立ち向かっていけるのです。

ミドル層へのアプローチが勝敗を決する

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(画像=PIXTA)

そんな母港のようなコア層を拠点にして、そこからいよいよ自分たちの意見、正論を社会に広げていく活動になります。

まずはミドル層へのアプローチです。私にとっては、意見の合う同業者や著名人、政治家や役人、団体や組織がミドル層に当たります。

一般の企業であれば、直属ではない他部署の上司や同僚、後輩たちなど、少し距離の離れた人ということになるものと思います。

この層をいかに広げていくかが、正論を広げていけるかどうかの重要なポイントになります。

私の場合ですが、この層は社会的にもそれなりの立場の人が多く、オピニオンリーダーと言われる人も多い。彼らとコミュニケーションを重ね、理解し、理解される協力関係を取り結んでいくわけです。つまり〝仲間〟になっていくわけです。そうすると、彼らが発信拠点となって、さらに仲間が増えるわけです。

ただし、このミドル層はコア層と違って、様々な正論についての仲間、いわば全面的な仲間というよりはむしろ、特定の正論についての仲間、すなわち部分的な仲間です。もちろん、当初ミドル層であってもコア層に転換していくことはあり得ます。というか、むしろ全てのミドル層に対してコア層に転換していくことを望んでいます。

とはいえ、自他共に能力の限界があり、なかなか世間ではそううまくいくとは限りません。なぜならコア層への転換のためには、お互いが「変わる」ことを覚悟し、そのために相当のエネルギーを投入することが必要になるからです。

したがって、あらゆる人々をコア層に転換することは事実上不可能ですから、このミドル層の皆さんには、特定の正論においてのみの仲間になることを目指していくわけです。

それは、ちょうどオセロゲームみたいなものだと考えたらわかりやすい。いかにポイントとなるスペースを自分の色にするか? たとえば四隅の重要なスペースを自分のものにすると、一気に周辺の駒がひっくり返るでしょう。そんな感じです。

その意味で、雑誌『表現者クライテリオン』という言論誌の編集長を務めていることの意味はとても大きいと思います。この言論誌ではつねに、私ならびに編集委員がいったい何が正論なのかを入念に議論し、それを通して練り上げられた正論についての特集を企画します。

たとえば積極財政やデフレ脱却、防災等についての特集を企画します。そしてこの特集に、当該の正論に賛同いただける方々に声をかけてご登壇頂くわけです。そしてその過程で、様々に交流を重ねていくことを通して、それぞれの正論についての〝仲間〟を増やしていくことを目指すわけです。

私にとってはTOKYO MXテレビの「東京ホンマもん教室」(毎月第2・第4土曜日 10時30分~11時30分)という番組も同じです。

もちろん一般の視聴者に私なりの考えや正論 ―― それをこの番組では「ホンマもん」と呼称しているわけですが、それをテレビを通して訴えていくというのが、このテレビ番組の第1の主旨です。しかしもう1つの狙いは、ゲストで呼んだ人と懇意になり、意見を交わし、正論を練り上げていくことを通して、その正論についての仲間、協力者となっていくということです。

ちなみに「ホンマもん」と掲げているのは、そもそもいまの世の中が「フェイク=偽物」だらけだということに対する違和感、あるいは憤りがあります。

前にパラダイムという言葉を使いましたが、その時々の世の中に支配的な意見や主義主張があります。でもよく考えてみると、それらがただのマスメディアによる流行だったり、誰かが自分の利益のために作り上げた姑息な意見だったりするのです。

財務省が作り上げた緊縮財政の流れも、一時世の中を席巻した新自由主義も同じくフェイクです。それから昨今の新型コロナに対する対策や報道も、フェイクに過ぎません。

そうしたフェイクはまやかしの正論であり、邪論に過ぎません。私が主張しようとする正論はいつも何らかの形でこういうフェイク=邪論を撃破し、その力を削がんとするものです。

なぜなら、緊縮論やインフラ不要論や新自由主義といったフェイク=邪論はいずれも人々を不幸に陥れ、国家の衰弱を導く「毒」そのものなわけで、その毒を取り除くことが私にとっての正論となり得るわけです。

別の言い方をするなら、多くの人が信じ込まされている裸の王様に対して、「あいつは裸だ!」と告発せんとするものが、正論=ホンマもんとなるわけです。そしてその場に様々な方にゲストとしてご登壇いただき、意見交換を図ることで、その正論を巡る共闘者、つまり〝仲間〟となっていくことを目指しているわけです。

=人を動かす「正論」の伝え方
藤井聡
1968年、奈良県生まれ。京都大学大学院工学研究科教授。京都大学工学部卒業、同大学院修了後、同大学助教授、イエテボリ大学心理学科客員研究員、東京工業大学大学院教授などを経て、2009年より現職。2012年から18年まで、安倍内閣において内閣官房参与。2018年よりカールスタッド大学客員教授、並びに『表現者クライテリオン』編集長。著書に、『こうすれば絶対よくなる! 日本経済』(田原総一朗氏との共著・アスコム)、『ゼロコロナという病』(木村盛世氏との共著・産経新聞出版)、『なぜ、日本人の9割は金持ちになれないのか』(ポプラ社)など多数。

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