この記事は2022年3月22日に「第一生命経済研究所」で公開された「春闘:賃上げ率が跳ね上がる」を一部編集し、転載したものです。


経済正常化,個人消費
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目次

  1. 物価を上回る伸び率
  2. なぜ高い賃上げ率が実現したのか?
  3. 好循環への期待感

物価を上回る伸び率

今春の賃上げを過小評価していたことは認めなくてはいけない。連合が集計した2023年春闘は、定昇込みで3.80%、ベア2.33%と大幅に伸びた(3月17日、第1回回答集計)。この数字は、厚生労働省の賃上げ集計ともほぼ重なる(図表1)。2023年度の消費者物価は、ESPフォーキャスト(2023年3月)の予測値で前年比2.07%だから、ベア率2.33%はそれを上回っている。岸田首相が望む「物価を上回る賃上げ率」を実現させるくらいの数字だ。定昇込みの賃上げ率は、連合ベースで1993年(3.90%)以来の高い伸び率になっている。

連合の要求段階の集計値では、2023年は前年比4.49%であった。回答の3.80%は、実現率=回答率/要求率でみて85%だ。2022年度の70%を上回り、それまでの実現率よりも高い。個別に集中回答日(3月15日)の詳細データをみると、自動車、電機の各社の要求に対して全社満額だった。いくつかの会社では、要求額を上回る経営者側の回答もあった。これは、驚きというほかない。

第一生命経済研究所
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注:連合集計は、3月24日に第2回、4月5日に第3回の集計発表が予定されている。

その背景には、インフレ加速がある。生活給思想に基づくと、インフレ率に見合うくらいに賃上げ率を引き上げてくれないと、実質的に生活水準は低下する。賃上げ要求として、消費者物価の上昇率に割り負けないほどの賃上げ率が掲げられる。2022年度の消費者物価予想は前年比2.99%まで上がった(前述のESPフォーキャスト調査、2023年度予想は2.07%)。連合の2022年度最終集計では、ベア率は0.63%だった。2022年度で物価に割り負けている部分を、労働組合は今回の春闘で取り返そうとして、高めの要求額になった可能性もある。

こうした集計値は、大手企業が中心だから、中堅・中小企業はもっと低いという見方もあるだろう。しかし、連合集計をみる限り、従業員99人以下のベア率は2.04%、100~299人は2.14%、300~999人は2.40%、1,000人以上は2.33%となっている(図表2)。中小企業のサンプルを含めてベア率が2%を上回っている。物価上昇の予想に対しても割り負けていない。

第一生命経済研究所
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なぜ高い賃上げ率が実現したのか?

従来にはない高いベア率が実現された理由を、物価上昇率の要因以外もしっかりと考えてみたい。

表面的に考えると、岸田首相の要請に大企業が呼応したことが挙げられる。しかし、従来、安倍首相も同様に発破をかけてきたが、これほどの高い伸びは実現できなかった。

別の仮説を考えると、①2022年中に価格転嫁が進み、大企業が採算維持できそうだという自信が付いたことが挙げられる。また、②短観などで示される人手不足感がコロナ前のピークに近づいていて、そうした潜在的な需給圧力が働いたことも挙げられる。2023年に特徴的な変化としては、③同業他社が積極的に賃上げをする構えを事前にみせていたので、雪崩を打って同調する圧力が働いたこともあるだろう。事前に賃上げの気配さえなかった企業が突然に賃上げ表明をしたことは、③の同調圧力が結構大きかったことを感じさせる。筆者は、「今まで賃上げできなかった理由は何なんだろうか?」と心情を吐露している人の意見も耳にした。これは同調圧力の威力だと言わざるを得ない。仮に、岸田首相の功績があるとすれば、今回、この同調圧力をうまく利用したところにあるだろう。

好循環への期待感

過去のデータを調べると、春闘の数字は、厚生労働省「毎月勤労統計」の一般労働者の所定内給与の前年比との連動性はかなり高い。労働組合の組織率が低下しても、その傾向は変わらない。春闘の賃上げ率が高まれば、所定内給与の前年比も高まるという関係である。仮に、連合の3.80%を使うと、2023年の一般労働者の所定内給与は前年比3.2%に高まると試算できる。これも驚くほど高い伸びである。

エコノミストの間では、月次の毎月勤労統計が速報値と確報値の間で大きく振れていることに不満を持つ見方もある。しかし、現金給与に限られたデータであるが、サンプルの振れを調整した共通事業所ベースを使っても、2022年の月次データでもかなり好調だった(図表3)。つぶさに観察すると、現金給与は、すでに2022年中から伸び率が趨勢として高まっていたことがわかる。2023年の春闘が強いことは偶然ではない。

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こうした変化は、非正規雇用にも当てはまる。連合が集計した有期・短時間・契約等労働者の賃上げ率は、時給で5.91%と高い伸び率であった。大企業・中小企業だけではなく、非正規雇用の範囲でも例年にない賃上げ圧力が働いている。2023年の中小企業の賃上げは、まだこれから夏場以降に本格化していくので、その勢いが持続することを見極めたい。

最後に、賃上げの意義を改めて確認しておきたい。春闘の賃上げは、どうしても大企業など一部の企業に限定されたものだとみられがちだ。しかし、波及効果で考えると、大企業の従業員がまず賃上げの恩恵に浴すると、彼らの消費拡大が中小企業などの売上・収益増加に寄与していく。中小企業は、大企業に比べて労働分配率が高い。収益など分配の原資が増えてから、それが賃上げへと波及していくことになる。

波及についての焦点は、春先以降の消費拡大にかかっている。コロナ禍で低下した消費性向が変化していかなければ、せっかくの大企業の賃上げは中小企業の売上・収益増加に結びつきにくい。この点、2023年は5月にコロナ分類の見直しがあり、さらにマインドが改善方向に向くと予想される。消費産業には、ほかにも年金受給額の増加(68歳以上の改定率1.9%)や、インバウンド消費の増加といった追い風がある。これまで低下していた消費性向が上向くことへの期待感はある。筆者は、そうしたマインド面での変化も手伝って、2023年の中小企業の賃上げはもっと前向きになると考えている。おそらく、その先にあるのは、好循環の復活である。消費増→収益増→賃金増→消費増のポジティブ・フィードバックが駆動していく姿である。

以上のような見解を述べると、読者の中には「自分は成果主義だから恩恵は及んでこない」という人も出てくるだろう。確かに、昔に比べて、ベアの恩恵の範囲は狭くなっている。しかし、マクロ的な好循環が実現すれば、そうした成果主義の人々にも業績が伸びやすくなるという恩恵が及ぶはずだ。好循環の実現に向けた前向きな変化を期待したい。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生