この記事は2023年6月19日に「第一生命経済研究所」で公開された「2023年6月の日銀短観予測」を一部編集し、転載したものです。


国債買入れ
(画像=Gina Sanders/stock.adobe.com)

目次

  1. 米国債の格下げ
  2. 何が問題か?
  3. 不確実性問題
  4. 格下げに注意

米国債の格下げ

フィッチ・レーティングスが、8月1日に初めて米国債を最上位格付け(外貨建て長期債務格付け)のAAAからAA+へと格下げした。その余波は、意外に大きかった。日本の長期金利も、0.60%台まで上昇した(図表1)。7月28日の会合で、日銀が長期金利の変動幅の柔軟性を高めた後、米格下げが発表されたことも微妙に金利上昇に影響している可能性もある。国債格下げ問題は、財政事情が悪化している日本には他人事ではない。「他山の石」として、今回の問題を整理しておきたい。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

まず、米国債の格下げは、2011年8月にS&Pが史上初めてAAAの最上位格からの格下げを実施したのに続き、今回が2回目である。フィッチの格下げによって、3大格付け会社のうち2つが米国債を最上位から外したことになる(ムーディーズは最上位)。格下げの理由は、債務上限問題である。2023年5月であれば、米議会は混乱し、米国債が格下げされても全く違和感はなかった。その後、5月31日にバイデン大統領と共和党マッカーシー下院議長が基本合意して、2025年1月1月まで債務上限を適用停止にする。これで、危機は一旦回避された。だから、すでに2か月以上も前に回避された問題が掘り返されたことになる。イエレン財務長官の「格下げは古いデータに基づいている」という反論は、ごもっともと思える。しかし、株式市場は下落し、米長期金利も上昇している(図表2)。これをどう解釈すべきなのだろうか。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

何が問題か?

格下げは、過去の健康診断書が公表されて、それをみて株価が下落している図式だ。今の健康状態が違うところに違和感がある。FRBの利上げはさらに進み、それでも個人消費は堅調さを維持している。米消費者物価は、5・6月と伸び率を大きく縮小させた。米国経済は、ソフトランディングのシナリオを辿っている。格下げが発表されたことでは、実体経済の方は1ミリも変わってはいないのだ。

この点は、ケインズの美人投票のアナロジーで説明できる。J.M.ケインズの有名な言葉には、「玄人の行う株式投資とは、『100枚の写真の中から最も美人だと思う人に投票してもらい、最も投票数の多かった人に賞金を与える』というコンテストで、『自分が最も美人だという人へ投票するのではなく、平均的に美人だと思われる人へ皆が投票する』ようなものだ」(一般理論)というものがある。株価は、ファンダメンタルズではなく、期待形成によって動くことを語ったアナロジーである。経済学では、このような投資家行動はナッシュ均衡だとされる。ナッシュ均衡とは、「相手が行動(戦略)を変えない限り、自分の行動(戦略)を変えない」という落ち着き所を指す。他人が米国債はAAAだと評価していた状態から、AA+へと評価が下がったので、それに反応して株価を下げたという訳だ。何の変哲もない説明だが、格下げされたという評価(他人の見方)の変化が、米金利上昇・米株価の変化を生んでいる。これは、ファンダメンタルズが悪くなっていないのに、株価が期待の変化によって下がることをうまく説明している。

格下げをみて、多くの識者が「マーケットは格下げをすぐに材料視せず、株価は速やかに戻る」と説明している。株価がナッシュ均衡(美人投票)の原理で決まっているのならば、米国債を安心して買える材料が積み重ねられないと、米長期金利は下がらず、株価も戻りにくい。例えば、FRBのタカ派姿勢が弱まったり、雇用統計などの指標で雇用増が確認されて、かつ平均時給が下がらなければ、金利・株価は元には戻りにくいのだろう。

不確実性問題

この問題がショックを与えた理由は、不意打ちだったところも大きい。後出しジャンケンの不確実性なのではないかと、筆者は考える。確かに、2023年5月に米債務上限問題が騒がれて、民主党と共和党が債務上限問題を人質に取ったときは、筆者でさえ米国のガバナンスに重大な懸念を感じた。当時も、格下げの可能性はあったと思う。そして、この問題は、5月31日の合意の後、喉元を通り過ぎて、熱さを一時的に忘れているようにも思えた。米大統領選挙後の2025年1月にまた再燃するのだろうなという不安を残している。

それにしても、騒ぎが一旦収束した現在のタイミングは、いかにも不可解だ。イエレン財務長官の不満は、格下げが予想外のタイミングだったことへの反応でもあるだろう。これは、予想外のタイミングで格下げがあるという不確実性の問題を生じさせている。

例えば、日本国債についても、同じように、今、格下げが宣告させたならばどう感じるだろうか。コロナ禍の巨大な財政出動はすでに一服し、むしろ税収は70兆円台まで増加している。過去の財政出動を挙げて、財政状況もずっと悪いと指摘されても、それには正当性を感じにくい。この格下げのタイミングは、宿命的に大幅に遅れるものなのだろう。そのことは、格下げの予見可能性を低下させている。常に予想できないタイミングで格下げが宣告されるという点が、不確実性を生じさせている。

もちろん、格付け機関側の反論はあるだろう。2011年8月も、同じように、当時の債務上限問題の混乱から時間が経過して発表された。実は、NYダウが13連騰したのを待ってから発表した、などという言い訳である。

こうした格下げのタイミングが不都合なのは、それが疑心暗鬼を生むからだ。いつ来るかわからないことが、不意打ちの疑心暗鬼につながる。具体的に言うと、日本株はその疑心暗鬼のマイナス効果がすでに出ているように思う。日本株は米国株以上に下がっている。これは、日本国債の格付けに対する不確実性が見えにくいかたちで高まっている効果もあるのではないか。日本の財政状況は、水準として相変わらず悪いことが問題視されるリスクが意識されたということだ。

不運なことに、米格下げを前に、日銀がYCCを柔軟化して、長期金利上昇を容認するようになった。これは、日本の財政リスクが長期金利上昇に反映しやすくなっていることを意味する。日本の株式を保有する海外投資家には、少し不都合な状況である。

格下げに注意

米格下げの教訓は、いくら実体が悪くないと当事者が主張しても、株価下落・長期金利上昇というマーケットの反応がすぐには変わらないことだ。人々が見ている評価が変わったことが問題なのだ。それまでよりも、財政状況を良くする努力をしなくては、低下した信用は回復できない。例えば、米国では、2024年秋に次期大統領がある。次期大統領の下では、2025年1月頃に再び債務上限問題の泥沼を繰り返さないという約束が行われた方がよい。

これは、日本の財政状況にも重要な示唆になる。「日本の財政は絶対に破綻しない」と開き直っても、格付け機関が日本国債の評価を見直すことの弊害に何の改善も与えない。すべきことは、すでに変化した評価を前向きに変えるような努力である。信用改善の努力こそが解決法なのだ。ここを間違えると、マーケッットの動きに手痛いしっぺ返しを食らい続けることになる。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生