この記事は2024年3月13日に「第一生命経済研究所」で公開された「春闘の集中回答日に注目」を一部編集し、転載したものです。
昨年以上の賃上げ率 今年の春闘は、日本経済のターニング・ポイントになるかもしれない。経済正常化への転換の「号砲」という位置づけだ。
3月13日は、その春闘の集中回答日である。連合による集計結果は、3月15日の1次集計の発表まで持ち越されるが、大勢を決める主要企業の動向は当日の個々の企業の妥結額から窺われる。筆者は、約4%に相当する妥結額を予想してきたが、それを上回る結果になるかもしれない。すでに前倒しで発表された妥結状況では、5%台以上の賃上げ率が相次いでいる。着地は相当に上振れる可能性が出てきている。
春闘について復習しておくと、例年3月半ばの集中回答日の結果によって、だいたい実績の伸び率が決まる。2023年度の場合、連合の1次集計(3月17日)の賃上げ率は3.80%であった。そこから6回の中間集計を経て、7回目の最終集計では、3.58%となった。随時、伸び率は下方修正されていったが、下方修正幅はそれほど大きくなかった。
もしも、2024年度の賃上げ率が4%以上になれば、定期昇給を除いたベースアップ率で2.5%以上になる公算が高い。2024年度の政府経済見通しでは、消費者物価が2.5%の伸び率と設定されている。だから、2.5%以上のベースアップ率になれば、大企業ベースではいよいよ実質賃金がプラスに転じる可能性が出てくる。
ポジティブ・サプライズ
集中回答日の結果が、事前の予想を上回るものだという点は、繰り返して指摘しておきたい。事前の予想は、3%台後半が多かった。労務行政研究所が、2023年12月~2024年1月にかけて調べた調査では、3.66%の賃上げ率の見通しであった。日経センターのESPフォーキャスト調査(2月)でのエコノミストたちの見通しの集計では、3.88%(ベースアップ率2.22%)であった。今考えると、いずれも低めの見通しだった。
連合の集計では、2024年度の労働組合の要求額は平均で5.85%と、前年4.49%の要求を大幅に上回っている。もしも、今年度の妥結額が、昨年同様に満額回答の連続となれば、非常に高い賃上げ率が実現することになる。すでに発表されている結果だけみても、労働組合の要求額に対して、経営者側がそれを上回る妥結額を提示する事例もある。つまり、満額回答以上の結果を示すところもあるということだ。
こうしたティブ・サプライズは、賃上げを受ける従業員の消費マインドにもプラスに作用するだろう。今後、夏場にかけて進んでいく中小企業の賃上げ交渉にもプラスの作用が働くことになりそうだ。
好循環シナリオ
好循環シナリオは、岸田政権によって掲げられてきた。このシナリオの中で、春闘の賃上げが核心部分になる。しかし、これまで中小企業の賃上げはなかなか進まなかった。理由は、価格転嫁が難しかったからだ。中小企業の価格転嫁を前進させるためには、消費者が高い値段で製品サービスを買ってくれる必要性がある。今後、大企業が中心であったとしても、賃上げが進めば、高い値段で買ってくれる消費者が増えることを通じて、価格転嫁が進む。すると、その効果はいずれ中小企業の賃上げ促進にフィードバックしていく。大企業の賃上げが、中小企業の賃上げを間接的に誘発していくメカニズムである。これを好循環と呼ぶ。
もちろん、このメカニズムは一直線には実現できない可能性はある。大企業の従業員が賃上げを受けても、必ずしも消費拡大をしない可能性があるからだ。将来不安が強いときには、消費拡大は進みにくい。
その点、現在の経済環境では、いくつかの追い風が吹いている。まずは株価上昇である。株価上昇の資産効果は、消費拡大を促しやすい。大企業の従業員には、株式資産を保有している者が相対的に多いだろう。資産効果は働きやすいとみられる。
次に、消費の現場では、インバウンド需要の追い風も吹いている。インバウンド需要は、宿泊サービス、飲食サービス、お土産など物品販売の小売の分野に集中する。それが人手不足を助長し、価格転嫁できた中小企業の賃上げに結びつきやすくなっている。そうした観点から、現状は好循環メカニズムが今まで以上に働きやすい経済環境になっていると考えられる。
なぜ、高い賃上げ率が実現したのか
春闘交渉がこれほどまでに高い賃上げ率になることは、事前には予想されていなかった。では、なぜ、そうした高い賃上げ率になったのだろうか。
大きい原因は、大企業を中心とした同調圧力だろう。他社の動向をみながら、自社の賃上げ率が見劣りしないように高くならないと、困るという経営者の心理が働いたのだろう。これは、同調圧力であり、競争圧力とも言い換えられる。デフレ時代は、他社が賃上げをしないから自社も手控えるといった同調圧力が働いていたと思うが、現在はそれがひっくり返った。
もう1つは、物価上昇が企業収益を押し上げる作用が強かったことだ。これまで消費者物価の見通しは、エコノミストの事前予想を上回るかたちで上昇してきた。これは、大企業も同じで、予想外に製品価格の引き上げが進むという結果を導いた。すると、粗利は膨らんで、損益分岐点比率は下がる。すると、人件費を増やすしやすい余力が高まる。現在、その余力が高い妥結額を実現する原動力になっていると考えられる。インフレ経済の進展が、企業収益にプラスに働いた。
賃上げコストは転嫁されるか
最後に、今後の課題について述べておきたい。経済オピニオンの中には、賃上げすると、人件費上昇によるコスト増をさらに製品価格に転嫁する連鎖反応が起こるという見解が述べられている。経済の原理で考えると、賃金と物価の伸び率は同調して動くと考えがちになるが、実際にそうなるかどうかは、企業の価格転嫁力によって変わるはずだ。
厳密に考えると、企業が賃上げをせざる得ない事情と、企業が価格転嫁を躊躇する事情の両方がせめぎ合って決まる。人手を確保しなくてはいけない事情が強ければ、人件費は価格転嫁される。逆に、価格転嫁したときに消費者から購入数量を減らされるようだと、人手不足を我慢することになる。
おそらく、判断は企業ごとに違っているだろう。大企業は、人手の確保を優先して、製品価格を引き上げるのではないか。多くの中小企業では、そうはならずに、消費者の購入数量の減少をより警戒するだろう。従って、賃上げも抑制される。
筆者の見方は、大企業に比べると、中小企業の賃上げは現在の春闘ほどが華々しいものにはならないというものだ。春闘の結果は、今のところは良好であるが、もっと幅広い企業規模で捉えると、賃上げ率はより低下していくと予想している。大手企業の春闘を前向きに評価しつつも、まだ企業間格差が残ると考えている。その結果は、もう少し時間をかけてみていく必要がある。