この記事は2024年3月28日に「第一生命経済研究所」で公開された「円安のジレンマ」を一部編集し、転載したものです。
重なるバブル期以来
為替レートが一時1ドル152円台に接近した。これは1990年7月以来34年ぶりのことだという。最近は、株価のバブル超え、バブル以来の賃上げ率など、30数年ぶりの出来事が相次いで起こる。これらは、日本経済が強くなっていることの「証」であるとともに、過剰な金融緩和を残していることの歪みという側面もある。1ドル152円に接近する円安はまさにその象徴だろう。
目下の円安に対して、財務省は介入を示唆し、円安圧力を牽制している。これまで幾度あったのと同じ光景だ。しかし、円安が投機的なものではなく、米長期金利の上昇を受けたものであれば、これは趨勢的なドル高円安なのだから、円安進行を止められないことになる。目先、ドル円レートを一時的に1ドル151円台に押し止めたとしても、その後1~2か月のうちに152円以上の円安に向かっていく可能性がある。
米長期金利の上昇は、米経済のソフトランディングへの確信が強まったことを反映するものだ。3月のFOMCでは、年内3回の利下げ予想を維持した。それはハト派的とみられた。強い経済での年3回の利下げは、たとえQT圧縮があっても米長期金利を上昇させるものだ。米長期金利上昇とドル円レートの円安化は、今でも密接な関係があるから、1ドル150円台の円安になるのだ。筆者のメインシナリオは、2024年末は1ドル155円の円安である。
矛盾の構図
今の円安の原因には、日銀の金融政策にもある。3月19日にマイナス金利を解除すり手前から、「緩和的な金融環境を維持する」方針をマーケットに伝えてきた。2月8日の内田副総裁の講演もそれを後押しした。こうした方針は、ほとんどの政策委員に共有されて、3月27日の田村委員の講演でも繰り返された。その副作用として、円キャリー取引が助長されて、円安圧力が強まることになった。
逆説的に言えば、日銀が公式見解として「緩和的な金融環境を維持する」方針を撤回・修正すれば、目先の円安圧力は解消していくだろう。日銀にとっては、追加利上げを急がない方針の修正が、株価を下落させたり、投資家たちを動揺させるものだから、危険な賭けだと考えるだろう。
しかし、政府が円安に歯止めをかけたいという意向を優先すれば、日銀とすり合わせをして、「緩和的な金融環境を維持する」方針を吟味する必要があるだろう。超低金利の早期修正を取るか、円安是正を取るかというジレンマが、政府・日銀の政策運営にはある。
政策の順序
筆者の予想では、財務省の口先介入はそれが有効性を失わない限りは継続されるとみる。しかし、実際に実弾を撃つ可能性はある。もしも、それで円安圧力が消えないときには、日銀の「緩和的な金融環境を維持する」方針は修正されると予想する。
追加利上げのタイミングは、2024年10~12月だと筆者は現時点で予想しているが、それがもっと前倒しになるという見方になる。つまり、円安進行による輸入物価上昇に対して、政府・日銀は歩調を合わせるシナリオである。政府は、追加利上げを認める代わりに、政府債務の金利コストの増加や、企業の経営悪化リスクを我慢することになる。まだ、追加利上げの蓋然性は高くはないと思っていてよいと思うが、私たちはそうしたシナリオがあることも頭に入れておく必要がある。
何が矛盾しているのか?
政府はこれ以上の物価上昇を望まないが、日銀は2%の物価目標の達成が2025年度までかかるとしている。筆者は2%の物価上昇が「身の丈」に合わず、国民が我慢できないから政府が物価対策に動かざるを得ないと考えている。矛盾の本質は、ここにあるとみて間違いない。
観測報道では、政府は電気ガス代の支援を予定通りに6月検針分を持って止めることを決めたようだ。一方で、ガソリンなどは、4月末をさらに延長するようなので、政府は半分だけ正常化に動く格好だ。円安の原因が貿易赤字にあると考えるとき、政府がガソリンなどの価格補助を継続することは矛盾している。消費者から物価上昇の痛みを遠ざけると、価格メカニズムが働かずに貿易赤字は増え続けるからだ。価格補助は、輸入物価上昇自体を修正しないので、本質的な解決法ではないという問題も残る。
政府は多少の円高を我慢してでも、輸入物価上昇を抑制するしか、このジレンマに対処ができない図式だ。筆者は、政府・日銀が共有している2%の物価目標は、いずれ曖昧にして行かざるを得ないし、日銀も早晩追加利上げに動くことになるとみる。
さらに残された問題は、日銀が追加利上げを急いだとしても、そのペースがいずれにせよ緩慢なものだと受け取られて、ドル高円安の基調を修正できない場合である。そうなると、今度は日銀が景気を犠牲にしてでも円安是正(物価抑制)に動かざるを得ないジレンマに陥る。そうした先々のリスクは、まだ現時点では見えてきていない。