この記事は2024年10月10日に「第一生命経済研究所」で公開された「物価対策とは何か?」を一部編集し、転載したものです。
やはり金融政策だ
石破政権に国民が望むことは、物価をなるべく安定させてくれることである。特に、食料品とエネルギーの価格高騰は家計に痛い。どうすれば、政策的に食料品とエネルギーの価格が押し下げられるのであろうか。
今のところ、政府が支援しているのは、電気・ガス代、ガソリン、灯油などエネルギーに限られる。食料品には影響力を行使できていない。家計消費におけるエネルギー支出は、対消費支出のウエイトが電気・ガス代+ガソリン+灯油で7.8%(2023年9月~2024年8月<12か月移動平均>、家計調査の2人以上世帯)である。それに対して、食料品は29.9%を占める(図表)。この割合は、エンゲル係数と呼ばれるものだ。この2024年8月の29.9%(同)は、同一のベースで比較すると2000年12月以降で過去最高になる。少しベースは異なるが、暦年の家計調査では1978年(30.2%)以降で最高の割合である。
つまり、平均的な家計は、食料品・エネルギーという消費全体の4割近くが特に値上がりしていて、エネルギー支援だけではその痛みを緩和できずにいる。約3割を占める食料品の値上がりは、厳しいということだ。
物価対策は金融政策
食料品とエネルギーは、輸入価格の高騰の影響を受けやすい。食料品は、食糧自給率が38%だから、約6割は輸入に依存していることになる。一次エネルギーでは、9割が輸入に依存している。つまり、輸入価格を下げることができれば、食料品+エネルギーのコスト高を抑制できる。具体的には、日銀が追加利上げを進めて、為替レートを円高にすると、輸入物価は引き下げられる。物価対策の切り札は、日銀の政策なのである。
しかし、この利上げは政治的に嫌われる。企業の利払い負担を増やし、株価にもマイナスだからだ。政府債務も増えて、歳出制約も高まる。経済学では、物価と景気にトレードオフの関係があり、利上げは景気に犠牲を強いることが知られている。日銀による物価対策は、誰かの利害を脅かさずにそれを実行しにくいところが政治的な難点だ。石破政権にとっても、物価対策として金融政策を前面に出しにくい背景なのだろう。
そうなると、日銀の追加利上げは景気がより改善することを前提にして、それと同調してゆっくりと進めるしかない。現在の日銀は、2026年度までの経済物価シナリオを想定して、そのシナリオの通りに着地しそうであれば追加利上げをするスタンスだ。このことは、景気と物価のトレードオフを念頭に置き、景気に過度のストレスを与えないための基準にもなっている。
賃上げ促進
日銀が、景気と物価のトレードオフを気にして慎重な利上げに徹したとしても、まだ物価が割高だという不満は国民には残る。黒田総裁時代に打ち出された2%の物価目標がそもそも高すぎるから、国民の不満が生じるのかも知れない。
それを脇に置いておくとして、次に必要なのは、生産性上昇を通じた賃上げである。生産性上昇には物価抑制の効果もある。難点は、それが目に見えて進捗しているとは確認できないところだ。例えば、GDP統計のような指標で、四半期ごとの労働生産性が上下動していることが「見える化」されていればよいのだが、現実はそうなっていない。
また、経済学では「賃金の粘着性」ということも言われる。賃金は一旦上げると下げにくいという傾向のことである。企業は、たとえ生産性上昇が進み企業収益が厚みを増したとしても、即座に賃上げをしないのは、この粘着性があるからだ。それが生産性が上がったとしても、賃金は敏感に上がっていきにくい傾向を生み出す。この辺の障害にどう対処するかは、これまで政策的にほとんど議論されたことがない。「生産性が大切だ」と言うのならば、もっと基礎的な指標を完備して、生産性に見合った賃上げがマクロ的にできているかどうかを企業の外からチェックした方がよい。
さらに、春闘などで賃金が上がっても、それに連動しない労働者が多くいると、賃上げは不十分という声が高まる。石破首相が2020年代に最低賃金を1,500円以上に引き上げようと主張するのは、この格差への配慮を念頭に置いたものだ。筆者は106万円や130万円などの年収の壁も、最低賃金を引き上げるのに併せて議論しないと意味がないと考える。年収の壁は、基礎控除額などを物価連動で引き上げる方法もあると思うが、これも政治的には好まれない。最低賃金の議論は、そうした包括的なかたちで進まないと成果を上げにくいと考える。
労働移動の不全
企業にとって、賃上げをしようというときに問題になるのが、潜在的な余剰人員である。AIなどの技術を活用すると、社内失業が生じる。社内失業を抱えたままでは企業の生産性は上がらず、賃上げにつながりにくい。自然減で対応すると、賃上げのスピード感は当然ながら落ちる。9月の自民党総裁選挙では、解雇規制の緩和が話題にされたが、この問題意識は生産性のネックになっている点で重要だ。企業が解雇せず、人手不足の他社に余剰人員を速やかに移動させる経路を太くしなくてはいけない。そうした対策を政策的に論じる必要がある。筆者としては、在籍型出向や転籍を増やし、生産性上昇の工夫が賃上げにつながりやすい流れをつくるべきだ。
この余剰人員と対照的なのは、中小企業の人手不足だ。事業拡大をしたくても、ハローワーク経由では欠員を埋めにくい。もしも、大企業などに余剰人員が多く滞留しているのであれば、職種の変更をして、自社にほしいと思っている。大企業の余剰人材の中で、まだまだ現役で活躍できそうな人は多くいるはずだ。このルートを開けば、大都市から地方への人口移動にもつながり、石破首相の唱える「移住者を増やす」ことになる。大企業の余剰人員を、中小企業にマッチングさせることは、2つの問題を一挙に解決し、そこで地方移住も促進する対応を促せば、1粒で3度の効果が見込める。だから、石破政権は、各種の政策メニューの中での優先順位をよく考えて、解雇以外の労働移動の道筋についてももっと議論すべきだろう。
給付金・減税だけでは無理
岸田前政権の時代は、エネルギー価格支援や各種給付金で物価高への対策をしてきた。しかし、その効果は限定的なものだった。むしろ、賃上げ促進や株価上昇を通じて、家計の所得増を間接的に支えてきたことの方が評価できる。だから、石破政権が賃上げ促進と資産所得倍増計画を引き継ぐことを表明したのは合理的選択である。たとえオリジナリティが欠けると言われても、物価上昇の弊害を緩和できるのだから萎縮する必要はない。問題は、賃上げ促進をバージョンアップできるかどうかだ。分配ではなく、生産性上昇の測定や労働移動のところまで拡張できるかどうかが問われる。
野党にも言えることだが、バラマキ的な手法はやっている感はあっても、効果が一時的で範囲も狭い。エネルギー価格支援補助のように、一度始めたならば、それを止めることも容易ではない。野党には、政権担当能力を示すためにも、バラマキ的でない手法を提示してほしい。
国民の側でも、与野党の実効性の低い政策の有無に一喜一憂するのではなく、与野党のいずれの政策が賃上げ促進に対して実効性があるのかに注目しなくてはいけない。物価対策の議論の質も同様に、バージョンアップしてもらわないと困るというのが、政策ウォッチャーのエコノミストの意見である。