この記事は2024年11月27日に「第一生命経済研究所」で公開された「「年収の壁」対策は小型化できる」を一部編集し、転載したものです。


年収の壁
(画像=yumeyume / stock.adobe.com)

目次

  1. 地方問題
  2. 対案
  3. 「年収の壁」は社会保険料の議論へ

地方問題

石破政権は、与野党で協議されている「年収の壁」対策をどのように着地させるのだろうか。野党からは103万円の所得控除枠を178万円まで大きく拡充せよという主張が行われている。178万円では、「年収の壁」対策として必要以上に過大な拡充になる。筆者の目には形を変えた減税政策だと映る。178万円まで拡充する必然性はあまりない。1995年から2024年までの消費者物価上昇率を基準に考えて、ひとまずは103万円→120万円が妥当だと理解している。筆者は、野党からの要求そのものよりも、石破政権が大き過ぎる要求に対して、どのように合理的判断を下すかに注目している。

最近の焦点は、地方財政への打撃をどう回避するかに移ってきた。しかし、報じられる「地方問題」への対応策には誤解も多いと感じられる。例えば、地方財政への打撃を回避するために、所得税だけの控除枠を上げようという見解を聞く。しかし、住民税の境目をそのままにしておくと、そもそも年収の壁は崩れない。また、所得税の方だけ控除の枠を178万円まで上げると、所得税には穴が開く。すると、所得税の3分の1が地方交付税に回る仕組みだから、やはり地方財政にしわ寄せがいく。与党は、より厳密な議論を進めてほしいものだ。

対案

筆者からは、178万円への所得控除枠の引き上げが過大なところを、どう調整すべきなのかを提言したい。まず、所得控除が高所得層にまで及ぶ部分を調整することを考えたい。2020年の配偶者控除の見直しの時は、年収850万円のところで、基礎控除の引き上げに対して、給与所得控除を引き下げることで、高所得者の所得税・住民税の減免をゼロにした。そうすると、予想される減収幅は縮小できるはずだ。

政府の試算では、所得控除を178万円にすると、国・地方合わせて▲7~8兆円の減収になるとされている。筆者も同様の試算をすると、▲7.9兆円(国▲3.1兆円、地方▲4.8兆円、地方交付税調整後)の減収になった(図表)。仮に、年収ライン850万円のところで、給与所得控除を減らし、基礎控除の引き上げ幅と同額の調整を行うとすれば、国・地方の減収幅を▲6.1兆円に縮減できそうだと試算できる。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

さらに、178万円までの引き上げをせずに、一旦120万円への引き上げに止めることで、▲6.1兆円を▲1.2兆円に縮減することができる。この▲1.2兆円の内訳は、国が▲3,600億円で、地方が▲8,400億円になると見込まれる。この数字は、現在騒がれている「▲7~8兆円」という規模感よりも遙かに小さなインパクトになる。このくらいのインパクトであれば、政府は政策コストとして何とか吸収可能であろう。

また、これで年収の壁は一定程度緩和される。103万円の枠は1.165倍に広がるので、労働制約を受けていた人の年収も増えることになる。

「年収の壁」は社会保険料の議論へ

筆者は、日本の政治はなるべく早く「年収の壁」の議論を決着させて、外交・安全保障に注力した方がよいと考える。2025年1月にはトランプ政権が誕生する。対中外交が大きく動き、トランプ関税が各国に対して課される可能性がある。わが国の重要課題が次々に浮上する中で、「年収の壁」問題での与野党協議に大きな時間を割いている余裕はないのではないか。このことは野党も承知しているはずだ。

「年収の壁」問題に関しては、税の壁よりも社会保険料の壁の方がよりハードルが高い。しかも、106万円・130万円の壁は、配偶者の利害を巻き込むという意味でよりインパクトが大きい。この問題は、社会保険料のしわ寄せを、特に中小企業に対して強いることがないようにしてほしい。また、週20時間以上を保険料対象者にするという基準になると、働き手からはかえって規制強化的印象になってしまう。そうした実情を是非、超党派で議論する場を作って、税と社会保険料を一体のものとして改善するようにしてはどうだろうか。野党の側には、日本全体の制度設計について、もっと建設的な議論を進めていただきたい。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生