この記事は2024年12月6日に「第一生命経済研究所」で公開された「風前の灯火、基礎的財政収支の黒字化」を一部編集し、転載したものです。
チャンスはリスク
筆者は、エコノミストとして財政再建が重要だと考えている。新規国債発行をうまく消化できるのは、信用があるからだ。財政運営への信用が失われると、長期金利は跳ね上がる。これは、マーケット原理であり、いろいろな理屈をこねて言い訳をしても金利が上昇してしまえば、後の祭りになる。私たちは、そのリスクを頭に入れながら、先見的に財政リスクを管理しなくてはいけない。
今、その財政再建にリスクとチャンスが同時にやってきている。チャンスとは、2025年度に基礎的財政収支(以下PB)の黒字化が、国・地方の統合勘定で達成できそうなことである。PB黒字化は、債務元本の実質返済開始を意味する。算式では、新規国債発行額-国債費<0となる状態だ。国債費とは、利払費+返済費である。新規の借金で、利払費と返済費を賄って、それがマイナス(新規国債発行額<国債費)になる。借金がマイナスだから、国債残高の元本が削減されるという理屈だ。この展望は、内閣府「中長期の経済財政に関する試算」(2024年7月、成長移行ケース)で示されている。2024年12月中に発表される一般会計の予算案をみれば、それが計画通りに進捗しているかどうかを確認できる。計画では、国の財政赤字は2025年度▲30.5兆円となっている。これが守られるかどうかに注目したい(2024年度当初予算▲35.4兆円の財政赤字)。
リスクの方は、政治情勢である。衆院選で与党が過半数割れに追い込まれて、自民・公明党は国民民主党の要求を受け入れなくては、法案を通せなくなっている。国民民主党は、「年収の壁」を問題視して、大幅な実質減税になるように、103万円の境目を178万円まで引き上げるように要求している。この要求を丸飲みすると、▲7~▲8兆円の税収(国+地方)の穴が開く。先のPB黒字化は、夢のまた夢になる。
個人の借金でもそうだが、収入(税収)が増えているときは、自分が借金をしていることを忘れてしまい、新たな借金を増やしてもよいという錯覚に陥る。政府がこの錯覚に陥ることはリスクだ。
実は、錯覚はもう1つある。すでに、日銀はマイナス金利解除を実行して、「金利のある世界」に移行している。政府は、2024年度補正予算で6.7兆円の国債増発を決定した。昔とは違って、国債の需給が悪化すれば、長期金利が跳ね上がる危険性が生じるようになった。政治の世界には、まだ国債消化が十分に日銀によって管理されているはずだと思っている可能性がある。もはやそうした局面ではないことは、十分に理解されていないように思う。つまり、長期金利がいつまでも安定していると考えるのは錯覚なのである。
PB黒字化の目途
2024年7月時点のPB黒字化の見通しについて確認しておこう。2024年度の当初予算ベースでは、国のPBは▲8.8兆円であった。地方のPBは6.1兆円だから、国・地方は▲2.7兆円の赤字幅だ。厳密に言えば、PB黒字化は、復旧・復興対策およびGX対策を除いてGDPベースになるが、話が複雑になるので本稿では予算ベースのままで議論する。
見通しでは、2025年度では国▲3.9兆円で地方が8.4兆円になり、国・地方の合計で+4.5兆円になる見通しだ。これが政府債務元本の圧縮につながる。この見通しは、今後の税収増、歳出抑制が続けば、実現の運びとなる。政府試算では、2025~2033年度にかけての範囲でこの黒字状態が継続することになっている。
しかし、ここにきて与党の過半数割れもあり、歳出拡大・減税実施の可能性が強まっている。手が届きそうだったPB黒字化は、風前の灯火になっている。政治の世界には、ダイエットに成功しそうなので、ちょっとくらい甘いものを食べても、リバウンドはしないだろうという楽観があるのだと思う。先見的にそれを管理する発想は弱まって、財政再建が後回しにされやすくなっている。
防衛増税と歳出余力
石破政権は、「年収の壁」問題の決着を前に、経済対策を盛り込んだ2024年度補正予算を国会で通そうとしている。ここでは、+13.9兆円もの歳出増が計画されている。少し驚くのは、税収増が+3.8兆円も見込まれている点だ。当初予算では69.6兆円の税収が見込まれている。ここには定額減税の▲3.5兆円も含まれている。だから、税収が前年比で横ばいだったとしても、2025年度は76.9兆円(=69.6兆円+3.8兆円+3.5兆円)になる計算だ。
しかし、PB黒字化に向けた政府試算では、2025年度の一般会計の見通しはすでに76.8兆円の税収見通しを計上している。税収面での余力拡大は期待できず、PB黒字化のアローワンスは稼げないということだ。
むしろ、すでに年中行事になった秋の経済対策のようなことを2025年度でも繰り返せば、PB黒字化は吹き飛んで、PB赤字を脱せない。前の岸田内閣は、2023年5月にコロナ禍を抜け出して経済正常化を宣言した。しかし、経済は正常化しても、財政運営はコロナのときと同じく肥大化したままだ。財政規律に理解があると思われた石破首相も、肥大化のトレンドに敢えてNoを突きつけることはしなかった。これは本当に残念なことだ。
政府にとって、大きな課題は「43兆円の防衛費の増強」である。これによって2027年度までの財政運営の自由度は狭まっている。岸田前政権のときに決めた防衛増税もこの計画に沿って行われる。今後、毎年のように歳出削減が行われるとしても、その余力は防衛費43兆円の増強のために食われてしまう計画なのだ。厳密に考えると、今後円安が進んで輸入品などのコスト増が起こってしまえば、米国製の装備品を買うとき、43兆円の金額よりも防衛費支出は膨らみかねない。約1兆円の防衛増税に、岸田政権はたじろいだのだから、石破政権も財源を追加的な防衛増税などで賄うことは相当にハードルが高いはずだ。
来るトランプ時代
日本国民の大多数が、2025年1月20日にトランプ次期大統領が就任すると、何が起こるのかと身構えている。筆者自身も戦々恐々だ。
トランプ関税も恐ろしいが、もっと深刻なのは、防衛費のさらなる拡充圧力だ。在日米軍の維持のため、様々なかたちで負担のシェアを求めてくるだろう。つまり、岸田前政権で決まった43兆円の防衛費の増強をさらに積み増すという要求が来る可能性があると思う。そのとき、石破首相はNoと言えるのだろうか。
前述の通り、43兆円の防衛費を実現するために、政府はすでに見込まれる財政の余力をつぎ込む計画である。歳出削減、決算剰余金、税外収入などである。少し踏み込んで言えば、計画されている歳出削減と決算剰余金は、コロナ禍で膨らんだ歳出の不用額がここ数年で増えていることによって一時的に多く発生している可能性が高い。2019年度まではそれほどの不用額は生じていなかった。追加的な税収増によって決算剰余金が増える可能性も、「年収の壁」対策で所得控除を増やせば、その影響でいくらか少なくなると考えられる。だから、トランプ次期大統領に防衛費の上積みを要求されたときには、今度こそ大幅な追加的防衛増税の可能性がある。石破政権は、防衛増税への反対論をしのぐことが果たしてできるのだろうか。こうなると、PB黒字化どころか、石破政権の存続も厳しくなってしまう。