女性の地位の近代史

近代以降、女性の地位はどう変遷したのだろうか。ネット辞書に「女権運動」という項目がある。それによると清末の19世紀後半、安徽省の才女・呂碧城による女子教育の提唱、女子学堂の設立を嚆矢とする。その後“知識婦女”たちの活躍により「女報」「女子世界」などの雑誌が創刊される。

1912年3月、辛亥革命で南京に中華民国臨時政府が樹立されると、同月に婦人参政権獲得に向けた激烈なデモンストレーションを行っている。その後広東省議会のうち10人を女性枠とするなど、具体的な成果も上げた。清末から中華民国までの動きは欧米の婦人解放運動と連動している。

1949年以降、共産党政権下での運動はどうか。すると1924年、上海で1万4000人の女工が参加したシルク工場の待遇改善ストライキを主導したのは共産党、と過去の功績を強調していた。1949年以降の記述は、1952年人民解放軍には11万人の女性軍人が所属していた、とあるだけだ。ここで欧米とは完全に分断された。

ビジネスでは互角、家庭では王者?

共産党政権の大きな功績は、農地解放である。地主の使用人として、独身のまま一生を終えたであろう多数の男女が結婚できる社会になった。その結果、人口は、1940年の5億4000万人から1980年の9億8700万人へ激増している。その分主婦も増えた。そして働いても働かなくても収入の変わらない時代、家庭内権力は自然と主婦に集まった。彼女らの権力基盤は盤石だった。これが改革・開放前夜の状況だ。そして1990年代以降、男女は同等にビジネスシーンへ飛び出した。

昨年、中国の最も影響力のある女性経営者25人というランキングが発表された。トップは格力集団(電器)の菫明珠氏で、この人は抜群の知名度を誇っている。他にもファーウエイ(電子機器)の孫亜芳氏、アリババの武偉氏などが入り、最先端企業で活躍している。また中小企業ではさらに女性依存が強い。

共産党幹部では10%以下の存在に甘んじている女性だが、家庭では王者、ビジネスシーンでも互角で力の均衡は取れている。虐げられし女性というイメージも実態もすでにない。感覚もなさそうだ。中国女性たちは欧米のように言論ではなく、働いて現在の地位を築き上た。トップリーダーは少数でも実権はしっかり掌握している。名目は必要としていない。

今後を予測すると、男女平等社会を通り越し、世界初の実質女性上位社会が実現しそうに見える。特色ある中国社会主義の成果だろうか。(高野悠介、現地在住の貿易コンサルタント)

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