(本記事は、高橋 聡氏の著書『起業するより会社は買いなさい サラリーマン・中小企業のためのミニM&Aのススメ』講談社の中から一部を抜粋・編集しています)

例,examples
(画像=PIXTA)

【実例】
「定年後」を見据えた選択 創業30年「学生街のコピー店」を買う

エリートサラリーマンの決断

本書の冒頭で紹介した朝賀正さん(仮名、40代)は、都内のコピー代行会社「三陽コピーセンター」(有限会社)を約1000万円で購入しました。

物件はいわゆる文教地区にあり、まわりには学校が多く、学生が持ち込んだ資料を預かり、印刷することや、ダイレクトメールを作ることが主な業務です。

M&Aには、事業譲渡と株式譲渡の2種類があることを先ほど述べましたが、これは株式譲渡です。

元のオーナーは、高齢を理由に事業承継を希望し、トランビに登録しました。

朝賀さんは、大手システム企業に勤めています。今回の購入は、セカンドキャリアを考えてのことでした。

「サラリーマンは、もう卒業でいいかなと思ったんです。新卒でいまの会社に入り、転職することもなく、30年近く勤めていろんな部署の長を経験しました。いまは600人ぐらい部下のいる営業部の統括部長ですし、その前は新規事業部の事業部長でした。新しいものを作り出し、それをマーケットに乗せる仕事も、その利益をより大きくする仕事も、リーダーとしてやったので、サラリーマンとしてやり尽くした感じがするんです」

結局、自身のサラリーマン生活に先が見えてきたことが大きいと、朝賀さんは言います。「いまは定年が来たら即退職ということにはなりません。本人が働きたいなら、働きつづけることができます。しかし、会社の先輩たちを見ていると、60歳が近づくにつれ、少しずつ役職が落ちていき、60を過ぎたら一般職になってしまいます。収入も減りますが、それ以上に夢がない。役員になったとしても、その地位にとどまれるのは、数年です」

従来は、60歳で定年退職するのが一般的でしたが、2013年に高年齢者雇用安定法が改正され、退職年齢の引き上げや、継続雇用などが義務付けられました。60歳を超えても会社に残ることが可能になりましたが、年収は大幅に下がり、かつての部下たちの指示を受けながら働くことに複雑な思いを抱いている方も多いようです。そうまでして、会社にしがみつきたくないとスッパリ退職される方もいますが、多くは老後の収入を考え、会社に残る選択をされています。

朝賀さんは、そうした現実と向き合い、ご自分なりのポジティブな結論を出されたと言えます。

食肉加工会社を成長させるアイデア

朝賀さんがトランビに出会ったのは、2018年。同じ頃読んだ三戸政和さんの『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』にも触発されました。

「私は出張が多いので、移動中よくトランビを見ながら、いろいろ妄想するようになりました。この会社を買ったら、自分ならどうするだろうというふうに。着目したのは、いまの仕事や取引先と同じような業種の会社です。やはりこれまでの知識と経験を生かしたいという思いがありました。でも、いざM&Aをやろうとすると、個人が会社を買うのは、そう簡単ではないことがわかりました。金融機関からおカネを借りようとしても、ちょっと厳しい感じでした。もっともこれは、私が1000万円単位のかなり大きな会社を買おうとしたからだと思います。結局、身の丈に合ったものにしようと方向転換しました」

朝賀さんがこのコピー代行会社を買おうと思ったのは、シナジーに対する目算があったからです。

「この会社は、顧客のほとんどが学生さんで、B to C(一般消費者向け)の事業をしています。顧客に自分の会社や取引先を加え、B to B(企業向け)ができると思ったんです。それによって、かなりの売り上げ増が期待できます。取引先の向こう側にいるユーザーにも働きかければ、売り上げを倍にするのも、難しくないと思います。3倍ぐらいになるんじゃないでしょうか。その点での自信はあります」

企業が販売する製品やサービスは、企業(Business)向けと、一般消費者(Consumer)向けに大きく分けられます。

違いは製品やサービスの中身、価格、数量などですが、企業向けの製品やサービスに消費者から問い合わせがあり、試しに一般市場で売ってみると、爆発的に売れることはよくあります。つまり、B to Bの中にはB to Cが隠れていると言えます。これは逆も言うことができ、B to Cの中にB to Bが埋もれていることもあります。それを見つければ、ビジネスチャンスにつながります。

「この案件を購入する前、やはりトランビを介して、食肉加工会社と交渉しました。成約には至らなかったのですが、そのときも同じようなことを考えました。その会社はB to Bだけを行っていましたが、そこにB to Cを加えることを思い描きました。たとえば、いまはバーベキューブームですが、食肉をバーベキューの食材として、ネット通販で一般消費者向けに売れば面白いんじゃないかと考えたりしました」

令和元年5月1日のスタート

最終的に、朝賀さんにこの会社を購入する決心をさせたのは、元のオーナーの人柄でした。

「はじめは『紙の印刷物は今後減っていくだろうし、斜陽産業かな……』と思っていたんです。それなりにニーズがあるのはわかっていましたが、あまり利益は期待できないな、と。しかし、このコピーセンターをはじめて見学に行ったとき、入り口に飾られているたくさんの写真を見た瞬間、『買おう!』と決意しました。

そこには、ここに通ってくれている学生さんたちの写真が、たくさん貼ってありました。

元のオーナーと、ここへコピーを頼みに来る学生さんたちが、とても仲がよく、アットホームな雰囲気だったんです。私が見学に行ったときも、みなさんでお菓子を食べ、お茶を飲みながらにこやかにおしゃべりをしていました。学生さんたちは、卒業して社会人になってもここを訪れたり、歯科医になった学生が、そのことをオーナーに報告に来ることもよくあるそうです。変な人に買われて、こういう温かい空気が失われるようなことがあってはいけないと思ったんです。この雰囲気を守りたいと思いました。言葉はおかしいですが、一種の正義感のような気持ちでした」

朝賀さんの純粋な気持ちは、元のオーナーにも伝わったようです。購入の申し込みは20件ほどありましたが、選ばれたのは朝賀さんでした。

「いまやっていることをちゃんと守りながら、新しいことをやりたいという話が、響いたんだと思います。それ以外の人は、価格しか興味がなかったのだと思います。もしよかったらこのまま働いてくださいと元のオーナーさんに申し上げたところ、快く承諾してくださいました」

コピー機をはじめとした機械設備はリースではなく、すべて買い取りです。

機械設備をリースにするか購入するかは、それぞれメリットとデメリットがあります。

リースの場合は、機械を変えたり、台数を増減したりすることも容易です。しかし、長期で見るとリース料の総額は機械を購入した場合と比べて割高になっています。

リースにすることのメリットは、1ヵ月のコストと利益が見えやすいことです。印刷業は

機械設備への依存が大きいので、リースか買い取りのどちらにするかで、短期、長期の利益に影響を与えます。

会社を引き継いで間もない朝賀さんは、いまそれで悩んでいます。

「印刷業は、時期によって売り上げが結構変動します。機械をリースにし、その分を変動費にすれば安全ですが、利益が少ない。機械を購入し、固定費にすると覚悟はいるんですが、売り上げを上げれば利益も大きくなります。前のオーナーもそこを考え、機械を購入していましたが、私はまだ始めたばかりなので、リースに変更すべきなのか、判断がつきません。まあ、やりながら考えようと思っています。

ただ、サラリーマンって、変動費など、安全なほうへ逃げることが多いんです。そのほうが、自分が傷つかないですしね。そういうとき、私はよく攻めればいいのにと思いましたし、私に判断が委ねられたときは、攻める判断をしたこともあります。ですから、いまはやはり機械を買い取るほうへ気持ちが傾いています。

令和元年のスタートの5月1日に会社を引き継いで、いまはまだ走り出したばかりですが、ゆくゆくはこちらの会社で頑張っていきたいと思っています。

近い将来にこちらに集中して、サラリーマン時代にはできなかった挑戦をしたいと思っています」

起業するより会社は買いなさい サラリーマン・中小企業のためのミニM&Aのススメ
高橋 聡
長野県長野市出身、長野高等学校卒業。デュポール大学(アメリカ・シカゴ)情報システム学科卒業、2001年 アクセンチュア株式会社に入社。通信販売大手の業績管理システムの構築、政府機関の業務基幹システムの構築、大手メーカーのグローバルSCMの推進などのプロジェクトに従事。
2005年アスク工業株式会社に入社。経営戦略室室長、取締役常務を経て2010年代表取締役社長に就任。
中小企業の事業承継問題を解決するため、日本初のユーザー投稿型M&Aマッチングサービス「TRANBI」を開発。「TRANBI」のサービス向上の為、2016年株式会社トランビを設立し、代表取締役に就任。同社のユーザー数は2019年に3万人を突破した。著書に『会社は、廃業せずに売りなさい』(実業之日本社)がある。

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