(本記事は、伊藤丈恭の著書『(無)意識のすゝめ』ぱる出版の中から一部を抜粋・編集しています)
まずは無意識の存在を受け入れる
人前に出るだけで緊張してしまう。どうにかしたい。
仕事中によく集中力が切れてしまい、そんな自分が情けない。
物事をすぐネガティブに考えてしまう癖を直したい。などなど。
多くの人が、様々な悩みを抱えています。欠点をなくせば仕事も人生もきっと好転するはず……その切実な願い、よく分かります。僕は演技トレーナーとして約二十年、都内でクラスを開講していますが、その間に接してきたのは俳優志望者だけではありません。演技の練習をきっかけに性格を変えたり、自分の殻を破ったりすることが本当の目的だった生徒は、沢山いました。
その経験を踏まえて、結論から先に言ってしまいましょう。
仕事のパフォーマンスを著しく下げてしまうほどの過度の緊張は、確実にとることができます。
集中力を高めて実務の能率を上げることも、ネガティブに考え過ぎて消極的になり過ぎたり、あるいは無理をし過ぎたりするのを改善することも、間違いなくできます。ただし、それなりの理解とトレーニングの時間は必要です。この本は、「こうすればたちまち緊張がとれる!」などといった特効薬を差し出す本ではありません。
なぜなら緊張は、無意識のうちに自然と生まれてくるものだからです。なかなか仕事に集中できなかったり、不安に襲われて消極的になってしまったりするのもそう。
人間の心は、ふだん自覚していない感情や欲求などの無意識と、それを自覚し、コントロールする意識の両面によって成り立っていて、切り離すことはできません。
しかも無意識は、とても正直者です。(本当は無理なことをしたくない)(実はノンビリしたい)(集中したくない)(やりたいことだけやりたい)……そんな無意識の欲求が意識の領域まで現れている以上、打ち消すことはできません。人間が生きている限り、緊張や不安と完全に無縁になるのは不可能なのです。
(やりたくないことはやりたくない)という無意識の欲求と、(けれどやったほうが良い)と考える意識は本来どちらも正しいものです。正しい同士がバランスを保ち合うことで、人は活動を送れます。
このバランスが崩れて葛藤が起きると、悩みという状態になって現れます。さらに、やりたくないと思う自分は情けない、弱い、根性がない!……と無意識の欲求を一方的に嫌い、否定すると、葛藤はさらに深まり、ますます悩みを大きくしてしまうことになります。
ではどうすればいいのか。自分の欠点だと思う感情をすべて否定せず、そのまま受け入れてください。
心理学の考えでは、心のなかを意識が占める領域が一割だとすると、無意識が占める領域はなんと九割だと言われています。取り除けないどころか、それだけ人の心のなかに大きく、強く存在している無意識の感情や欲求を思い切って受け入れるところからスタートすればーそこから徐々にですが確実に、自分の人生をより活き活きとしたものに変えるための活路が開けてきます。
これから紹介していくのは、僕が今までの演技指導を通じて練り上げてきた指導法「アイゼ・アプローチ」のなかから選んだ、ビジネスパーソンのどんな局面にも当てはまる練習法です。
俳優も、まずはすべてを受け入れる練習が第一歩。俳優という職業に、もともと才能があって豊かな感性の持ち主にしか目指すことが許されないイメージを持つ人がいるでしょうが、そんなイメージにとらわれて焦ることはありません。彼らは自分の欠点も何もかも受け入れる勇気を持っているのです。才能も感性も、意識下にある本当の願いや思い、本音などの無意識を解放することで初めて育っていくものだからです。このプロセスは、ビジネスパーソンも俳優と全く同じなのです。
僕はこれまで、『緊張をとる』『集中力のひみつ』(ともに芸術新聞社)というタイトルの本を二冊出版してきました。二冊の本で強調している言葉は、「心は直接操作はできない」です。
演劇の世界でも一般社会でも、多くの先輩達は「緊張するな!」「集中しろ!」と、心の直接操作を命じてばかり。緊張がとれて集中できているゴールの状態ばかりを目指させて、そうなるにはどうすれば良いかの道筋は教えてくれません。そんな指導をただ素直に聞いて、ルートが分からないのにゴールに向かえば、ますます迷ってしまう。迷うほど緊張が高まり、もちろん落ち着いた集中はできないから、さらに焦ってミスを増やしてしまう。こんな苦い経験、誰でも覚えがあるのではないでしょうか。
でも、心を直接操作することはできなくても、心の大部分を占める無意識を誘導することによって緊張をとり、集中することはできるのです。
それらを具体的に説いていくのが、この本の基本的な内容となります。つまり、無意識を味方につけるすすめです。
ハリウッドの名優も学んだ訓練法が原点
「アイゼ・アプローチ」は、スタニスラフスキー・システムとメソッド演技という、二つの大きな演劇理論をもとにしています。
理論の内容は本文で少しずつお話していきますが、大まかに説明しておくと、旧ソ連でモスクワ芸術座を主宰していた俳優・演出家のコンスタンチン・スタニスラフスキー(一八六三~一九三八)が、心は直接操作はできないが、意識的に身体を使えば間接的に誘導できると発見し、演劇の世界で初めて理論化したのがスタニスラフスキー・システムです。
日常では誰しも、気持ちがあってから行動に移りますが、舞台の上で出番のたびに確実にそんな気持ちになれというのは無理な話です。しかし順番を逆に捉え、実生活と同じような意識を持って行動することを先にすれば、無意識のほうが身体の活動に影響され、感情を呼び起こすことができるという考え方です。脳に(今は演技をしているのではなくいつもと同じ日常なのだ)という錯覚を起こさせるのです。
このスタニスラフスキー・システムに大きな啓示を受けたアメリカの演出家リー・ストラスバーグ(一九〇一〜一九八二)が、さらに独自の理論に発展させたのがメソッド演技です。
メソッド演技が心を誘導できる媒体として重要視しているのは、無意識の底にある記憶。個人的な思い出によって役の表現に合った感情を引き出していきます。その分、スタニスラフスキー・システムよりも不安定ですが、存分に感情表現ができた時の爆発力は物凄いものがあります。そのため舞台よりも、撮り直しができる映画向きと言われています。
ストラスバーグが芸術監督をつとめ、メソッド演技を教えるニューヨークの俳優養成所であるアクターズ・スタジオはこれまで、マーロン・ブランドやジェームズ・ディーン、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソンなどなど映画史に残るスター俳優を数多く輩出しています。彼らが活躍を始める前のハリウッド映画と、彼らの代表作を見比べてみれば、メソッド演技によっていかに映画のなかの演技の質が変わり、リアリズムが主流になったかがよく分かります。
僕は、まずは十九歳の時からスタニスラフスキー・システムを実践する演出家・吉沢京夫さん(一九二九〜一九九九)が主宰する劇団・京で数年間俳優として学び、その後、アメリカでリー・ストラスバーグに師事したゼン・ヒラノさん(一九三四〜)が都内で開いていたスタジオでも数年間、メソッド演技を学びました。この二つの理論をどちらも若い頃に学んだ、僕は日本では数少ない存在です。
つまり、これからみなさんに向けてお話していく「アイゼ・アプローチ」はどれも、あのデ・ニーロやアル・パチーノが若き日に勉強した練習法の延長にあります。無名時代の彼らが踏んできたのと同じステップを踏んでいけば、それがそのまま、自分の殻を破り、ビジネスパーソンとしての成長につながっていくんです。少し、いや、かなりワクワクする話だと思いませんか?
しかし、僕が開講しているクラスでは現在、スタニスラフスキー・システムとメソッド演技をそのまま生徒に伝えることはほとんどしていません。二つの理論を十年近くかけて学び、尊重した上でより嚙み砕いた「アイゼ・アプローチ」で練習しています。そのほうが自分も生徒も、やっていて身体や意識に無理がないんです。常に練習法は脳に楽なほう、脳に無理のないほうに考えながらアレンジを続けています。そうするほど、無意識の感情や欲求を脳が認めてあげやすくなります。
アイゼ演技ワークショップHP:https://aize.tokyo/
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