(本記事は、伊藤丈恭の著書『(無)意識のすゝめ』ぱる出版の中から一部を抜粋・編集しています)

一流のポジティブ、三流のポジティブ

ポジティブ
(画像=Cat Act Art/Shutterstock)

一流のポジティブと三流のポジティブには、明確な違いがあります。

一流のポジティブは一言にまとめれば、失敗を笑い話にできる人。失敗のおかげでかつてない体験や発見ができたと考えられる人。新しい教訓として次に活かせると得した気分になれる人。

何か物を失くしてしまった時、新しい物を買うチャンスだとワクワクする発想まですぐつなげられる人には、僕も羨ましさを覚えます。若かった頃の僕は、物を失くしたらがっかりしたり腹を立てたりするだけで終わっていましたから、発想を工夫するまで時間がかかりました。

この、若い頃の僕が三流のポジティブです。失敗するとカリカリしてしまう。この傾向がもっと重い人になると、一度の失敗で一気に絶望までいってしまう。

だから僕は、ポジティブな人を見ると冷や冷やするんです。特に、本来はそんなに明るい性格ではないのにポジティブに憧れている人。自分で自分の状態が分かっていない、ということですから。失敗した時の落ち込みが大変なのでは……と危なっかしくて心配になってしまいます。

「一秒前は過去である」といった言葉は確かに魅力的です。僕ももし人に言えたなら、さぞかし気分が上がるだろうと思います。こうしたスーパー・ポジティブなワードをあえて口に出すことで自分を高揚させたい、モチベーションを高めたい気持ちはよく理解できます。

でも、気分が良いなと思う時ほど危なっかしいものなんです。乗っている時は、しばらくは良いことが続きます。乗った勢いの余波というか余韻で成功します。そして二、三ヶ月後につまずいてしまうことが、僕の知っている範囲では多いです。

第三章で触れた、真面目過ぎて楽しめている自分に気付きにくいタイプとは僕自身のことです。僕がまさに三流のポジティブの典型でした。後ろ向きなネガティブな部分もあり、ポジティブになろう、と強く決意して以来、ポジティブ一直線。体調が悪くても決めた日課は必ずこなす。頑張りすぎてもっと体調を壊したり、怪我をしたりしました。

そうするうちに、あることに気づきました。楽しめている自分に気付きにくくなっているということです。自分の考えるポジティブと違う価値観に対して、罪悪感に近い感情になっていたのです。

練習の休憩中に、生徒のみんなとくだけた、意味もない話で笑う。こんな時間も楽しいうちに入るんだと気付かない。非生産的なものを認めない。ストイックな頑張りだけに、ある種の楽しさがある。という状態になってしまったのです。

このような真面目のスイッチが入っている状態は、「昔の記憶を思い出す」や「リラクゼーション」などの練習で無意識の感情が引き出されてきても、やはり、すぐに自覚できません。教師から「今、感情が来ているよね?」と聞かれても、認められなかったのです。

感情が引き出された芝居=凄いパワーの熱演だと固定観念で考えてしまっていたからです。それで、この程度をそうだと認めてしまうと自分は大して成長していないことになる、だからこれくらいは感情のうちに入らない、と意識でフタをしてしまうんです。無意識の感情が動いているのに、自分で気付いてあげられない。自分でハードルを上げている状態でした。

しかし、そんな小さなところからスタートしないといけないのです。

演技というのは日常生活の延長みたいであればあるほど良くて、無駄な力は入っていないほうがいい。しかし無駄な力が入っていなければ「やってる感」が少ない。いかにも熱演という芝居のほうが手応えを感じられるので、つい自信のない僕はそこへ向かってしまいました。

時間をかけて少しずつは変化し、「どうだった?」と聞かれたら、「感じていたからいい方向だとは思うんですけど……」と戸惑いつつも納得できるようになっていきました。目に見えるような熱演をしなくても、役の感情を少し摑んでいけば、そのほうが楽だし正しいんだと分かっていったのです。

今まで指導してきた生徒のなかには、いつもポジティブを目指していなければ不安で自分が潰れてしまう、という人はたくさんいました。

すこぶる付きで優秀なのに、論理的過ぎて物事を何でも最短距離で進めてしまう癖だけは克服できないまま家庭の事情でやめてしまう生徒もいました。

その人たちに性格を直せとまでは言うことができません。性格といっても抽象的で幅が広過ぎるからです。

せめて、ポジティブ=全面的に良いという考え方は三流で、ネガティブを取り入れるポジティブが一流、という考え方だけは、知っておいてもらえたらと思っています。

ポジティブとネガティブ

ポジティブ,ネガティブ
(画像=Zyn Chakrapong/Shutterstock)

では、僕の言うネガティブとはどんな思考状態を指すか。ここまで何度も出てきた言葉です。

緊張はなくならないし、集中しようと力むほど集中できない、と諦める。すべてを受け入れる。ハードルを下げる。

これが一流のネガティブです。多くの人がこの言葉に対して抱いている、いじける、人のせいにする、何に対しても否定的……といったイメージはあくまで三流のネガティブであって、僕も肯定はしていません。しかし、一流のネガティブならばどんどん取り入れたほうがいい。

一流のネガティブとは、謙虚さなんです。ネガティブも、謙虚と言い換えると途端に良い意味、それこそポジティブな印象に変わるでしょう?一流のネガティブには、三流のポジティブが自分の実力以上のレベルを求めてしまうのを引き下げる力があります。そして、一流のネガティブは謙虚さなのだと理解した人だけが、一流のポジティブになれます。

とても大まかな印象の話になりますが、クラスの生徒の場合を考えると、女性には当初は三流のネガティブに近かったけれど、すぐ一流のネガティブになれる人が多く、男性は、三流のポジティブのステージで苦労する人が多いです。女性の遠慮深さや現実的なところと、男性のすぐ大きな夢を語りたがるロマンチストなところが、僕の目にはそういう見え方で現れるのかもしれません。

勉強のできた生徒であればあるほど、ネガティブを受け止めるまでに苦戦する場合が多いんです。頑張って結果を出してきたからこそ今の成績、今の仕事、今の地位があるとプライドを持つ人は、どうしても諦める、ハードルを下げるという言葉に消極的なものを感じ、努力に水を差されたような、抵抗を覚えてしまうようです。

でも、自分の信じてきた常識とは違うポジティブ、ネガティブの捉え方があるんだなと一度理解さえしてくれたら、確実に変化するのもそういう生徒です。もともと努力をする土台が備わっているからです。

ただし、ポジティブとネガティブの組み合わせ方には難しさがあります。どちらも、タイミングや使い方で毒にも薬にもなりますから。両者の間の、丁度良いところを見つけるセンスは自分なりに実践し、工夫してもらうしかありません。

判断基準になるのは、やはり心。どこで切り替えると心が楽しいと感じるか、無意識の感情や欲求が乗ってくるかを自分の胸に聞いてみるのが一番だと思います。

ビジネスパーソンの場合、「失敗を怖れず、まず動け」と否応なくポジティブな初挑戦を求められる局面を何度も迎えるでしょう。僕も基本的にはそう思っていました。失敗を怖れているといつまでも行動に移せないままですし、思い切って一度トライしてみて失敗することは、動けないより何十倍も価値があると。

今の考え方は少しだけ違っています。トライするからには、失敗しないほうがいい。僕自身が最近ある事業に関わり、初回からある程度以上の結果を出さなければ次のチャンスが遠のくシビアさをリアルに経験したので、実感でそうなりました。

それに、「最初は失敗してもいいからとにかく動こう!」と行動が目的化する人は成長しにくい例も、間近で見てしまっています。そういう人はいったんアクションを起こすと、とにかく俺は動いている、走っているというポーズに満足して、ネガティブな視点を持って冷静に自己検討していく作業を怠りがち。謙虚さを失っている状態になります。そうして、折角の最初のアクションを無駄にしてしまう。これも三流のポジティブに入ります。

行動に移せることは大前提です。その上でいかに最善な結果に近づけるか、事前によく考えながらアプローチしていったほうがいい。

ただ、まず行動に移せ、はハードルを上げることに似ています。矛盾に感じられるかもしれません。

ここからが、ポジティブとネガティブの間の丁度良いところを見つけるセンス、という話になります。

トライする前と、トライしてからに分けて考えてください。

発想や構想をしている時は、ポジティブが良い。しかし準備をしてとりかかる時には、一流のネガティブを取り入れる。やる前からいろいろと考えるのは高度と言えば高度ですし、タイミングは難しいのですが、要は最初から満点を目指すのを潔く諦め、ハードルを下げて臨めばいいのです。

アクティブな勢いで動き出す事業は、計画も行動も勢い優先で楽天的に進みがちです。ネガティブな面を無視した事業が成功を収めたとしても、堅実な発展を続けられる可能性となると一体何パーセントまで減るか。みなさんのほうがよくご存じではありませんか?

つまり一番良いタイプは、謙虚に自己検討できるポジティブ、行動を起こせるネガティブです。

緊張をとる練習法と集中する練習法が密接につながっているように、ポジティブとネガティブもコインの表と裏の関係にあります。どちらも仕事には必要で、分け切ることはできません。筋力トレーニングをする人が、筋肉を付けたい部分のために違う部分も同時に鍛えていくのと同じだと思ってください。バランスを考えないと、得意な部分さえ伸びにくくなってしまいます。

図1
(画像=(無)意識のすゝめ)

一口に仕事と言っても様々な業務がありますから、「事務などのデスクワークは得意だけれど打ち合わせは苦手」、あるいは「契約先に挨拶などの外回りは苦にならない代わり、書類作りになると頭が痛くなる」といった得手不得手は人によって違うでしょう。そのためにイライラしてしまいそうな時、ポジティブとネガティブがコインの表と裏の関係にあることを思い出してみてください。

百点満点で九十点はとれる、と自分でも胸を張れる仕事があったとしたら、実はそこからは大きなポジティブな喜びはありません。どれだけ勉強してスキルを磨いても、上乗せできる点数はプラス十点だからです。でも三十点にしか達していない仕事は、もう少し頑張り、経験を積めば六十点はとれます。不得意な仕事で倍の点数を出せれば、九十点が九十一点になるより嬉しいかもしれません。

ある日、自分の周囲を見渡すと高学歴の人ほど多趣味の持ち主が多いのに気付き、それぞれ仕事が忙しくて余暇の時間も限られているはずなのになぜだろう、と考えてみたことがあります。

レジャーに充てる費用の多寡などを度外視して、その人の性質のみに絞っていくと、共通しているのは対象への興味の持ち方の上手さでした。 物事を分解するように考えて、これはどうなっているんだろう?と自分で興味を作り出すことができる。集中力の深め方と同じです。興味を保つためのゲーム性を身に付けているから、自然と知識欲が旺盛になり、多趣味になる。教養のある人は高学歴だからそうなのだというより、やはりゲームを楽しむオマケとしての教養なのだと思います。

これが、いきなり高い教養を身に付けようなどと、レベルの高いところまでハードルを上げると、途端に身構えて吸収されにくくなってしまいます。カラオケでもゲームでも、楽しいことが分かればもっと上達する方法を知りたくなるし、知ればさっそく試したくなりますよね。そうするうちに、もっと楽しい練習法を自分の手で見つけられるかもしれない。仕事も、この考え方の延長でいいのです。

僕はよく、クラスでの練習を「遊び時間のようにやりたいんだよ」と生徒に言っています。演技の練習をより密度の濃いものにしようとすれば、本気で遊ぶ時間にするのが一番なんです。

(無)意識のすゝめ
伊藤丈恭(いとう・たけやす)
演技トレーナー。1967年生まれ。大阪出身。19歳より、故・吉沢京夫よりスタニスラフスキー・システム、ゼン・ヒラノ氏よりメソッド演技、マイケル・チェーホフ・テクニークを学ぶ。吉本興業沖縄ラフ&ピース専門学校演技コース講師。メンサ会員。現在、アイゼ演技ワークショップを東京・渋谷近郊で開講中。参加者は延べ10万人を超える(2019年5月現在)。『プレゼン・緊張解消クラス(一般の方が対象)』も開講中。
アイゼ演技ワークショップHP:https://aize.tokyo/

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