(本記事は、伊藤丈恭の著書『(無)意識のすゝめ』ぱる出版の中から一部を抜粋・編集しています)

大声を出して瞬間的緊張をとる

大声
(画像=aslysun/Shutterstock)

「緊張は俳優の職業病」という言葉があります。名優、ベテランと呼ばれる人でさえどんなにキャリアを重ねても緊張と無縁にはなれません。

それでも彼らが堂々と良い演技を見せられるのは、緊張している自分を否定していないから。緊張している状態を認め、受け入れてしまったほうが、緊張はとりやすくなるのです。

僕だって、今でも緊張をとりたいと思っています。同時に、一生付いて回るものだとも思っています。そのつもりで年齢を重ねて場数を踏む回数を増やすうち、図々しさも出てきて、若い頃のような、ひどい緊張で手が震えるようなことはほとんどなくなりました。

といって、年をとるまで悠長に待ちましょう、ではアドバイスとしてはあんまりですね。

僕の開講している演技クラスの稽古場で、新しく入ってきた生徒に最初にやってもらう練習から教えましょう。

それは「大きな声を出す」です。「ワーッ!」と、とにかく大声を出し続ける。これでずいぶん緊張はとれます。

当たり前過ぎて拍子抜けしましたか?それくらいのことは知っている、と気を悪くした人がいるかもしれません。大きな声で何かを叫んだらストレスが発散された。そんな描写は映画、ドラマ、漫画で何度も何度も目にしているでしょうし。

しかし、本格的に自分の殻を破る練習の第一歩のつもりで、本気で大きな声を出した経験がある人となると、そんなに多くはない気がします。ここでいう僕の「大きな声を出す」は、自分の格好悪い姿をさらけ出す、とイコールですから。

まず、突っ立ったまま、身体を動かさないままで大声を出すのはNGです。その大声は、大声のうちに入りません。身体のなかに溜まった緊張が発散され切っていないからです。

幼い子どもが駄々をこねる時のように、怪獣が暴れ回って街を破壊する時のように両手をブンブン振り回し、両足をドタバタさせ、全身を使いながら十秒以上は「ワーッ!」と大声を出し続けてください。それも可能な限りみっともなく。人に見られたら恥ずかしくて死にたくなるくらいじゃなければ意味がありません。

図1
(画像=(無)意識のすゝめ)

実際に稽古場で僕が見ていて、他の生徒もいるなかでやるとなると大きな躊躇いが生まれます。手や膝が震えたり、身体が硬くなったり、声が上ずって出てこなかったり。急に、強く身体に現れるこうした緊張を、瞬間的緊張といいます。しかし急に現れる分、実は浅い緊張なので取り除けるのも早いのです。

僕は、この「ワーッ!」の大声・大暴れだけで人生が変わり始めると本気で思っています。「そう思って覚悟を決めて」と伝えます。何もみんなの前で、一人でやれとは言いません。周りも各自が大声を出して暴れているなかで、一緒にやるんです。すると周りに影響されて、初めての人でもやってみることができます。

そして多くの人が、いざやってみると、なんてことはなかったんだ……という表情になります。緊張をもたらす不安や恐怖心は、幻想に過ぎなかったと気付く瞬間です。

初めて稽古場に来た生徒、しかも演技経験が少ないか、全くないという人に「緊張しなくていいよ」と何度も言ったところであまり意味はありません。(自分は緊張していない、緊張していない。大丈夫大丈夫……)と言い聞かせる自己暗示が上手くいく人も確かにいます。しかし、本当に緊張しているのにそれを打ち消す自己暗示を強くかけると、それだけ無意識と意識のバランスが崩れ、ますます緊張が大きくなる逆効果になりがちです。

そんな人にあえて、初対面の人の前で大声を出しながら、バカ丸出しに全身を動かすことをやってもらうのがこの「大きな声を出す」練習です。やり遂げた後の生徒からは、最初の瞬間的緊張がすっかりとれています。殻はもう破れています。どうしても恥ずかしさが先に立って大声を出して暴れきれない人との間では、その後の演技の上達に、明らかに差が出ます。

「大きな声を出す」ができるようになった生徒には、続けて少しだけステップ・アップを求めます。「そのワーッ!にカッパを混ぜて!」などと言うんです。カッパの正しい動きなんて僕も知りません。みんな一瞬戸惑いますが、架空の生き物の動きなんだから答えはない、自由にしていいんだと分かり、今までの人生でやったことのないような動きを始めます。つまり想像力です。この動きよりこんな動きのほうがカッパらしいかも。少なくとも自分は面白い。それでいいんです。正しいものをやろうとするから緊張するんです。自分にとって面白い動きを探す間は、緊張なんてしていません。

「自分に正直になる」という言葉がありますが、それはイコール、無意識が持つ純粋な欲求を抑えつけずに解放する、ということです。「大きな声を出す」練習は無意識の力に気付くための第一歩です。

「ワーッ!」も「カッパ」も誰でもできます。繰り返しますが、答えなんてありませんから。

それでも恥ずかしいと思う読者もいるでしょう。初めは一人きりの部屋のなかで、一分間だけでいいのでやってみてください。最初は面白くないかもしれませんが、一分もやると余裕が生まれ、動きを工夫してみる遊び心が生まれてきます。遊び心が自然と緊張を遠ざけてくれます。一分間試すだけで、人生が変わり始めます。

「大声を出す」練習がなぜ瞬間的緊張をとるのに有効かというと、大声・大暴れで全身を使うので、身体が一気に疲れるからです。そうなると自然と、強いが浅い瞬間的緊張はとれるのです。

スタニスラフスキー・システムの基本である、身体や意識を使って心を誘導するとは、まさにこれです。

コンスタンチン・スタニスラフスキーの、直接操作はできない心の間接的誘導は可能だと説いた理論が不滅なのは、良い演技ができるのは生まれつきの、理屈抜きの才能に恵まれた者だけ、という長い間の認識を覆した点にあります。

例えばシェイクスピアの四大悲劇の一つ『ハムレット』の主人公・ハムレットを、現代の俳優が演じるとしましょう。いきなり表現するのは不可能です。ハムレットはなにしろ中世デンマークの城のなかで孤立し、父の復讐に燃える王子。あまりに日常と遠い存在です。すぐに心情を理解しろというほうが無理な話です。なのに「ハムレットの気持ちになろう……!」と頑張るのは、よく知らない人に好意を持とうと努力するのと同じで、ぎこちない演技になるのは目に見えています。これが、心を直接操作しようとしてしまっている状態です。

しかしすぐに理解するのはやめて、ハムレットの置かれている状況に意識を向けながら、簡単な目的のためにまず動いてみる。動いていると、(自分の存在を知らせるために、わざと足音を立てて歩こう)(……右の柱の後ろに敵が隠れているかもしれないから、いつでも剣を抜けるようにしておこう)(……油断させるために気付いていないフリをしよう)(……どうやったら油断させられる?逆の左側を見ながら鼻歌を歌おう)と、目的や意識の使い方が増えてきて、同時により深く状況把握できるようになってきます。繰り返していると心は自ずと誘導され、そこで初めて、ハムレットらしい感情が生まれてくるわけです。

(無)意識のすゝめ
伊藤丈恭(いとう・たけやす)
演技トレーナー。1967年生まれ。大阪出身。19歳より、故・吉沢京夫よりスタニスラフスキー・システム、ゼン・ヒラノ氏よりメソッド演技、マイケル・チェーホフ・テクニークを学ぶ。吉本興業沖縄ラフ&ピース専門学校演技コース講師。メンサ会員。現在、アイゼ演技ワークショップを東京・渋谷近郊で開講中。参加者は延べ10万人を超える(2019年5月現在)。『プレゼン・緊張解消クラス(一般の方が対象)』も開講中。
アイゼ演技ワークショップHP:https://aize.tokyo/

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