(本記事は、御手洗昭治氏の著書『ドラッカーがいま、ビジネスパーソンに伝えたいこと』総合法令出版の中から一部を抜粋・編集しています)
部下の成長と行動を促す者
●変わるリーダーの役割
日本の企業や社会は大きな変革に直面している。ドラッカーは日本の未来を見据えて、年功序列のシステムに変化が見られるときには、組織におけるリーダーシップの在り方が大きく揺らぎ、問い直されるだろうと想定している。
トップのカリスマ性や力量に頼り過ぎている組織は、意思決定の仕組みが個人に属しており、システム化できない場合がある。組織としての短期的な成長は早いが、一方で衰退も早い。トップダウン方式の意思決定の真の狙いは速やかさ、または迅速さであり、ワンマン社長やワンマンリーダーが、部下の意見を吸い上げないで、自分勝手な判断をすることではない。
中堅リーダーたちの仕事も変わってきているという。従来の年功序列のシステムでトップの命令を部下に伝達する中間管理職的なスタイルから、部下育成による具体的な実績を即座に求められるようになっている。特に部門リーダーのように限られた領域のリーダーたちは、どう振る舞い、何をすればいいか迷っているであろう。
ここではこれからのリーダーに求められることについて述べる。最初に明記しておきたいのは、リーダーはトップだけではないということである。何が起こるかわからないジャングルの中では、兵士全員が経営者であることを忘れてはいけない。リーダーに求められる能力、技術、考え方などは、すべてのビジネスパーソンにも当てはまるのである。
●マネジャーとリーダーの違い
マネジャーとリーダーは、とかく混同されがちである。
組織またはグループの最高位がリーダーならば、マネジャーは補佐官にたとえられる。適材適所の人事であれば、組織はミッションをもとに成果を上げることができる。
マネジャーとは、企業や組織体の全体または一部の、あるいは特定の業務をマネジメントすることを職業としている人である。担当部署のゴールを設定し、その実現に向けての進行管理、他部署との調整、そのプロセスで生じる問題を解決することが主な任務である。経営者と管理職、役職者を含む。英語で言えば「ディレクター」や「チーフ」などである。
ドラッカーは、「リーダーとは、組織の使命を考え抜き、目に見える形で目標を定め、優先順位を決め、それを維持する基準を定める者である」と説いている。組織が邁進すべき戦略やビジョン、方向性を示し、メンバーに目標設定をコミットさせ、各自の志をまとめて動機付けをし、改革を成し遂げる役割を担う人物である。時には、メンバーにエールを送り、鼓舞することが任務となる。そのビジョンが組織内の人びとにとっても現実的で信頼できるものでなければならない。
また、リーダーは現状より望ましい状態を示し、ファシリテート(促進)できる人物、かつチームをインスパイア(力付ける)する助言者でもある。
日本にも関心を寄せていたアメリカの2代目大統領ジョン・アダムスは、リーダーについて次の名言を残している。
「夢と意欲を掻き立て、成長と行動を促す者がリーダーである」
このように、リーダーとマネジャーとはその役割が異なる。しかし、組織内では補完し合うべき関係である。また、リーダーシップを重んじる人びとは、マネジメントなどはどうでもよいと思いがちである。しかし、リーダーシップを強く発揮しなければならない役職に就いていても、マネジメントの仕事から解放されはしない。このことを忘れてはいけない。
●リーダーシップを仕事として考える
リーダーたることの第1条件といえば、リーダーシップを仕事として考えることである。自分の任務であり、失敗した場合には自分で責任を負う。何事も言葉より行動で示すことで、自らがロールモデルとなって規範を示すことができなければならない。
リーダーの仕事は、次の7つに集約される。
1.意思決定 2.志高く合理的なゴール設定 3.巧みなコミュニケーション 4.組織の人たちのモチベーションのアップ 5.アメとムチの使い分け 6.巧みな権限委譲 7.トップ自らを律する
以下では、まずリーダーに求められる資質について触れた後、これらを順に見ていきたい。
リーダーに求められる資質
●志を高く持つ
ドラッカーは、リーダーの要素として志の高さを述べた。例として20世紀の初めに駐イギリス大使に任命されながら、早々に辞職したドイツ人を取り上げている。
当時のイギリス国王エドワード7世は、俗に言うプレイボーイであった。日本風に言えば、高級芸者たちが一糸まとわぬ姿で突然飛び出してくるような派手なパーティを開催するよう、各国の大使に求めていた。
しかし、このドイツ人大使は、エドワード7世が仕掛けたパーティに嫌気が差していた。朝にヒゲを剃りながら、「鏡の中に芸者の客引きまがいの男の顔を見るのも嫌である」とひとりつぶやいた。
ドラッカーは、この外交官の決断にリーダーシップの神髄を見たという。好むと好まざるにかかわらず、リーダーには全員の視線とフォーカスが集中する。常に周囲からテストされている。リーダーとは、自分自身の高潔さと高い志が他人にも伝わる行動と規範を持ち合わせて組織をリードすべきである。
ドラッカーは名医といわれる歯科医師に聞いた。「あなたは、世の中にどのように覚えられたいでしょうか」。医師の答えは「あなたを死体解剖する医者が、『この人は一流の歯科医にかかっていた』と言ってくれることだ」であった。
この名医と、ただ食べていくだけの仕事しかせず、平々凡々と生活を送っている歯科医とには大きな違いがあることがわかるであろう。
自らの成長のために最初に優先すべきは卓越性の追求である。そこから充実と自信が培われる。
旧約聖書に「知識を持つ者は力を増す」という一節がある。これは、物事について知れば知るほど、ほかの人びとに影響を与えることができるという意味である。リーダーには、智力が必要である。智力なくしては、優れた仕事はできない。また自信も付かない。すなわち人としての成長もない。
アメリカの富豪ロックフェラーは、次のような名句を残している。
「金持ちになりたい一心から出発しても成功はしない。志はもっと大きく持つべきだ。ビジネスで成功する秘訣はごく平凡である。日々の仕事を滞りなく成し遂げ、私がいつも口酸っぱく言っていること、つまり商売の法則をよく守り、頭をいつもハッキリさせておけば、成功することは間違いない」
●有能なリーダーの共通点
有能なリーダーには行動において次の6つの共通点がある。
1.「自分は何をしたいか」よりも「どんなニーズを満たすべきか」を考える 2.違いを生み出すために自分は何ができ、何をすべきかを問う 3.組織の使命感と目標は何かを問う 4.人間の多様性への許容は非常に高く、自らのコピー人間はつくらない。個人の業績、判断や価値観には手厳しい 5.仕事仲間の強みを恐れず、それを大いに提唱する 6.毎朝、鏡に自分をさらし、今日の自分は自分がなりたいと考えた人間かどうか、尊敬し得る人間かどうかを見直す
加えて、リーダーはタフガイであるという共通点もある。
アメリカの企業文化には、「タフネスは美徳」という精神風土が存在する。
倒産寸前の自動車会社のクライスラー社を引き受け、見事に立ち直らせたリド・アンソニー・アイアコッカ。苦境をものともせず再建させたタフガイとしてヒーロー扱いされた。
あるいは元アメリカ大統領ロナルド・レーガンである。パンナム機爆破事件などの黒幕とみなされていたリビアのカダフィ大佐を「中東の狂犬」と呼び、その地を爆撃した。
その際、ヨーロッパはじめ多くの国々から猛烈な批判を受けたが、アメリカ世論の7割以上がレーガンを支持した。「憲法を修正し、タフなレーガンを3選させてはどうか」という声もあったほどである。
逆境の中、ひとり孤独に未知の世界と困難に立ち向かう人物こそ、「タフガイ」、「タフレディ」と称賛される。孤独に耐えることもリーダーの宿命かもしれない。
●権力を乱用せず権威を持つ
リーダーの中には、「権力を握れば、組織でリーダーシップを発揮できる」と思っている人が意外に多い。ドラッカーは、これは間違った考えであると述べている。
確かに権力がなければ組織は動かない。権力を行使して組織の人びとに恐れられなければよいが、権力を乱用し過ぎると自分の身が危ない場合もある。そのために「裸の王様」になってしまった人物も多い。
まずは権力を振りかざすだけでなく、自分もまた、仕事に尽力しなければならない。
日露戦争を終結させたセオドア・ルーズベルト大統領は述べた。
「働き甲斐のある仕事に精を出している人びとを見ていると、私は立派だと思う。しかしである。社会的地位がどんなに良かろうと悪かろうと、精を出して働かないリーダーは実に哀れと言わざるを得ない」
ドラッカーによれば、「裸の王様」になったリーダーに共通する点は、権力と権威の違いがわかっていないことであるという。権威には人格や品格も含まれており、その個人の実力、見識、人間的魅力などにも裏打ちされているものでなければならない。
権威をもって人を奮い立たせ、行動させ、心服させることができれば、その人は立派なリーダーである。権威の希薄な人ほど権力に縋りたいという傾向が、洋の東西を問わず存在する。
権威は自分だけでは測定できない。周囲からの評価が必要である。
例えば、「その道の第一人者である」という言葉は、その道において優れ、抜きんでている人物、すなわち権威者という意味で使用されている。
戦後、権力を最大限に行使しながら、権力の魔性を自覚し、ドラッカーが提唱した「民営化」の教えをもとに、国鉄を民営化させた元首相の中曽根康弘。権力について興味深い言葉を残している。
「権力は決して至上ではありません。政治権力は、本来、文化創造のためのサーバント(奉任者)なのです」
また同氏の口癖は「政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告である」だった。
これらの言葉は、多くの世界の政治家にとって、これからの政治を考える上で大いに参考になるであろう。
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