本記事は、渡部清二氏の著書『プロ投資家の先を読む思考法』(SBクリエイティブ)の中から一部を抜粋・編集しています。
相場を見るときは目線を遠くする
投資判断とは、一言で言うと今投資してもいい時期なのか、それともやめておいたほうがいいのかを見極めることです。
これが適切にできれば、株式投資で100%勝つことができるわけですが、ちょっとやそっとで身につくようなスキルではありません。
ただ、「このタイミングでは絶対に投資すべきでない」ということだけは判断できるようにしておくべきでしょう。
投資の基本は「安く買って高く売る」です。その基本を忠実に守るとすれば、「高く買う」ことだけは絶対に避けなくてはならないからです。
この話をするとき私の頭に浮かぶのは、日本が底なしの不景気に陥り「失われた20年」と呼ばれる原因となった1990年のバブル崩壊です。
ちょうど私が証券会社に入社した年のことでした。私の証券マン人生に「失われた20年」はすっぽり入っています。
もちろん、そんな状況下でも株で利益を出す投資家の方はたくさんいましたが、大きな損失を出して悲惨な状況に陥ったお客様も大勢いました。
株式投資の場合、信用取引に手を出さず、その会社が倒産さえしなければ、最悪でも資産がゼロになることがないのが、救いと言えばそう言えるのかもしれません。
では、なぜ多くの人がそこまで投資にのめり込んだのでしょうか。それには「バブル経済」について理解する必要があります。
日本のバブルはこうして起こった
日本のバブル経済期については、1985年から1990年の5年間とする説が有力です。
バブル経済とは景気がいい時期に、実体経済以上に株式や不動産などの価値が急上昇し、その後、泡(バブル)がはじけるように急激にその資産価値が下落する現象のことを言います。
そのきっかけとなったのが、1985年9月にニューヨークのプラザホテルで開かれた先進5カ国(アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、日本)による会議の決議である「プラザ合意」でした。
この会議は、ドル高によって貿易赤字を抱えて苦しむアメリカを救うために、先進5カ国の首脳らが集まってドル高を是正することを目的としたものでした。
日本の立場からすると、円高・ドル安に向けた舵取りをするということになります。
プラザ合意を受けて、当時対ドル価格1ドル=240円程度だった日本円は、1ドル=150円程度にまで急騰。
ところがアメリカへの輸出で大儲けしていた日本は、円高によって輸出不振となり円高不況と呼ばれる不況に突入します。
そこでこの不況を乗り切るために、日本銀行は民間金融機関に貸与する際に適用される金利である「公定
これによって企業や個人がお金を借りやすくなり、積極的に融資を受け不動産や株式に投資するようになりました。
日本政府の政策、世界経済の動向、それに人々の欲望などの要因が絡みあって日本は空前のバブル経済に突入します。
当時の日本では、「土地は必ず値上がりする」という土地神話がありました。そこへもってきて地価が勢いよく上がっていくのですから、人々の目がくらむのはごく自然なことでした。
「今買っておかないと、この先もっと高くなって買えなくなる」と考える人が増え、地価はますます上昇。一般的に住宅価格は年収の4倍くらいまでが安全と考えられていますが、バブル期には東京のマンション価格はサラリーマンの平均年収の10倍へと跳ね上がりました。
ひところは東京の山手線内の土地価格だけで、アメリカ全土が買えると言われるほど高騰したのですから驚きです。
今では信じられないことですが、「金余り現象」と言われ、株式市場にも大量の資金が流れ込みました。土地と同じで買いさえすれば、なんでも上がると言っても過言ではないほどの活況ぶりだったのです。
大学生の就職状況もよく、1991年卒の大卒の求人倍率は2.86倍に達しました。統計開始以来の最大値で、この記録は未だ破られていません。
この年に大学を卒業した人は「バブル世代」と呼ばれます。大企業の新入社員だったある女性は、入社1年目の冬のボーナスが70万円で、当時50代前半だった父親が「なんでお前のようなペーペーにそんなにボーナスが出るんだ!」と本気で怒っていたそうです。
すべてにおいて、今では考えられないことが起こっていた時代 …… それがバブル景気の時代だったのです。