問題は「数」ではなく「機会の均等」ではないのか?

私は女性の社会進出を否定するつもりはないし、すべての女性の管理職を否定する意図もない。

しかし、実際には能力がないにもかかわらず、管理職に就いている女性がいることも事実である。もちろん、男性だって能力がないのに管理職に就いている人はたくさんいる。

そもそも、男女平等とはなにか?

男女の管理職の「数」が等しければ男女平等と言えるのか。男女の国会議員の数が等しければ、男女の閣僚の数が等しければ、それで男女平等社会が実現し、女性が働きやすくなり、女性は輝けるのか?

恐らく、ほとんどの人はそれは単に「数」の問題であって、真の問題はそこではないと分かっているはずだ。にもかかわらず、なぜ多くの企業は数にこだわるのか。

数にこだわれば、組織の中で多数派と少数派の問題が生じる。少数派は多数派に勝たんがために、多数派は少数派に勝たんがためにそれぞれがさらに多数派工作をエスカレートし数を増やそうとする。

数を増やすことの目標は、あくまで「数」に過ぎない。そんなことをして何の意味があるというのか。私たちが本当に求めているのは多数派と少数派に色分けされて、どちらかが主導権を握る組織を実現することではないはずだ。そもそも「数」を基準に女性の社会進出の度合いをアピールすること自体が、誤りなのだ。

本来「輝くべき人」が輝けない社会。それでいいのか?

少なくとも、私が求めたいのは、誰にでもチャンスが平等に与えられる組織だ。「女性にとって働きやすい」「女性が輝く」というフレーズを目にする度に強烈な違和感を覚えるのは、そこなのだ。

本来は「すべての従業員にとって働きやすい」「すべての従業員が輝く」職場でなければならないはずである。

重要なのはすべての人間に平等にチャンスが与えられることである。平等に能力や適性が評価されることである。企業の人事がそれを放棄してしまったところに問題の本質があるのだ。

あなたの周囲にもこんな人はいないだろうか。能力、人間性ともに相応しくないのに役職を得ている人、逆に優れた能力と人間性を兼ね備えているにもかかわらず不当な扱いを受けている人。

男女の数にこだわるのではなく、純粋に個人の能力を適正に評価する原点に戻った議論が必要だ。単なる数合わせにこだわり続ければ、本来「輝くべき人」が輝けない企業になってしまうのではないか。それは企業はもちろん、社会にとっても大きな損失と言わざるを得ない。(或る銀行員)

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