(本記事は、久慈直登の著書『「売れる営業」のマインドセット』株式会社CCCメディアハウス2019年5月1日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
大きな目標を掲げることの大切さ
MDRTを目指したのと同じ時期、私はもうひとつ、大きな目標を設定しました。それは、CFPの資格を取得することでした。
CFP(Certifi ed Financial Planner)とは、ファイナンシャル・プランナーのなかでも最上級の国際的な資格であり、認定者になるためには難しい試験に合格しなければなりません。合格率は10%にも満たないことが多いのです。
金融の世界にいらっしゃる方なら、その価値は十分にご存じだと思います。また、企業の経営企画に携わっていたり、独立してコンサルティング業を始めようとしていたりするビジネスパーソンにとって、CFPの資格は大きな武器になるはずです。
では、私にとってはどうかというと、これまでどおり、飛び込み営業を行いながら、沖縄で新しいお客さまを開拓していくうえでは、このような大それた「肩書」は必要ありません。もっと言えば、保険の営業職を続けていくだけなら、苦労して手に入れても宝の持ち腐れになってしまいます。
では、なぜ私はこの資格にこだわったのか。
それは、「さらなる高みに上りつめて、自己実現を達成したい」という欲求と、「保険のセールスレディがCFPになるなんて無理だろう」という「常識」を打破したいという願望が湧き上がってきたからです。
保険会社で働く人たちのなかでも、CFPを目指すのは幹部候補生か、もしくは独立を考えているタイプに限られます。まさか営業職の、しかも沖縄で働いている女性がCFPに挑戦するなどと、誰も想像していなかったと思います。
なにも功名心が頭をもたげたわけではありません。目標を見失ってその場に立ちすくむ自分を鼓舞する「何か」がほしかったのです。
そこで、私は自分自身に課題を設定しました。
「MDRTと同じように、CFP資格も3年で取得しよう」
これを実現させるためには、仕事と勉強をハイレベルで両立させ、そのうえ子育てや家事もこなしていかなければなりません。傍から見れば無謀だったのかもしれませんが、そのおかげで、心身に緊張感と充実感がみなぎってきたことをよく覚えています。
「環境を変えることで、もっと成長したい」――よく、スポーツ選手がチームを移籍するときに聞くセリフですね。その気持ち、私にはよくわかります。
私の場合は職場を変えるわけではないので、まったく同じではありませんが、慣れ親しんだ環境でずっと働いていると、刺激が乏しくなるものです。自分をいまいる場所からジャンプアップさせるためには、まったく新しい、そしてできるだけ高い目標を掲げることが大切なのだと、私はこの体験を通じて知ることになります。
時間を有効活用するために
3カ月に一度、私は上京して3日間の研修会に参加しました。これは、志の高い若い同業者と交流し、モチベーションを高めると同時に、MDRTやCFPを目指すうえでの情報収集においても大きな意味がありました。
もちろん、旅費や滞在費は自費ですし、その間、家族には負担を強いることにもなりました。
入社してから生まれた三男は、当時まだ小学校の低学年でしたし、母親として責任を十分に果たせないことはわかっていたのですが、ホットボタンのスイッチが入ってしまった私は、目標に向かう気持ちを抑えることができません。
「この時間は、きっと家族のためにもなる。お母さんが向上心を持って生きる姿を示すことは、子供たちにとって有意義なことだから」と説明し、家族には納得してもらいました。いまでも、このときの協力には心から感謝しています。
私は、家庭、仕事、勉強のすべてを懸命にこなしていきました。
MDRTのメンバーになるために、これまで以上に新規顧客開拓、お客さまへのケアに力を注ぎ、CFP資格試験の勉強はこまめに、時間を有効活用しながら進めました。
お客さまとの待ち合わせの時間前に、10分でもあれば問題集を開いて1問でも多く解くように心がけ、自宅に戻って家事全般をすませた後は、机に向かって1〜2時間、集中的に勉強したものです。
すべてにおいて効率的に行動できるように、計画を立てて生活すれば、三足のワラジも苦ではありません。
こんなとき、最も大切なのは「行動の優先順位」をしっかり決めることです。無目的に過ごしていると、あっという間に時間だけが流れていくからです。
私はまず、ちゃんとメモを取り、はっきりと自分自身に行動計画を示すことから始めました。頭のなかだけで計画を立てても、目の前の雑事や突然の事態に振り回されるだけです。
24時間という限られた時間のなかで、100%やりきることはできません。ですから「やりたいこと」と「やらなければならないこと」をしっかり仕分けし、優先順位をつけて厳格に予定を立てることが必要になってきます。
逆に、家庭、仕事、勉強のすべてをこなしていくには、この方法しかなかったのかもしれません。
1日の行動予定は前日に決める
第2章でも紹介したように、私は営業職として、1日の行動予定表を前日に作成していました。そうすることで、目標→計画→行動→成果の因果関係がはっきりと認識できますし、次の目標も設定しやすくなるからです。
MDRTとCFPを目指すようになって、このノウハウは仕事の枠を越えて、生活全般にも適用できるとわかりました。
いっぽう、優先順位をつけることは重要なのですが、人間は放っておくと楽なほうへと流されてしまうものです。自己管理はできていると思っていても、面倒なことやつらそうなことは、どうしても避けて生きていこうとします。
問題は、それを誰も指摘してくれないことです。サボっても省いても、監視して注意するのは自分だけです。
私の場合、勉強がつらくて逃げてしまいそうになることが何度もありました。
そんなとき、どうしたか。
「私はなぜ勉強しているのか」「どこに目標を置いているのか」という原点に立ち返るようにしたのです。
だからこそ、たとえ時間のやりくりがつかなくなったときでも、勉強は絶対に優先順位の上位に置くよう、自分を律し、戒めながら生きていました。
自分で決めた目標には大きなパワーがある
目標にもさまざまな段階があります。それによって行動計画も異なってきます。
10年、5年、3年とスパンを区切って目標を設定し、1年、1カ月、そして1日の行動計画に落とし込んでいくことが合理的だと、私は考えました。
10年後にどんな自分になっていたいのか――その長期目標を設定することが先決でした。私は、営業職を「生涯の仕事」と決めていたので、これまでセールスウーマンが到達したことのない領域にまで踏み入るような、成長した自分になっていることを目標に掲げました。そのことによって、保険セールスという職業のステータスを高めたいと思ったのです。
そのためには、MDRTの終身会員になること、そしてファイナンシャル・プランナーとしての最高レベルの知識を活かして、どんなに地位が高い経営者や金融のプロたちとも互角に渡り合い、営業活動を行えるような見識を持ったセールスウーマンになること――それが私の長期目標でした。
ですから、一度でもMDRTの一員になることや、CFPの資格を取得することは、中期目標でした。具体的な到達点を設定すれば、自ずと日々の過ごし方は決まっていきます。
保険営業のノウハウは、本書でもこれまで再三ご紹介してきたように、私のなかで確立していましたので、それをブラッシュアップしながらモチベーションを維持することに注力しました。そうすると、「マンネリ感」に悩んでいた頃とは見違えるように、張りのある時間を過ごせるようになったのです。
当然、結果もついてきました。まるで生まれ変わったかのように、「保険がいかに大切か」というメッセージが、より的確にお客さまに伝わったからだと思います。
つくづく実感したのは、与えられた目標ではなく、自分自身で決めた目標には大きなパワーがあるのだということ。自分に対するコミットメントがあるからこそ、意味のあるプロセスを辿ることができるのだと思います。
問題は、勉強のほうです。その道のりはとても険しいものでした。
CFP資格を取得する前に、まず私は比較的易しいと言われているAFP資格を目指すことにしました。AFP(Affi liated Financial Planner)とは、CFPと同じく日本FP協会が認定するもので、ファイナンシャル・プランナーとしての基礎知識を持ち、相談者に対して適切なアドバイスができる技能を証明する資格です。幸い、こちらは勉強を始めて約1年、最初の試験で合格することができました。
しかし、本当の「真剣勝負」はここから始まったのです。
「目標→計画→行動→成果」のサイクルを守る
AFPに合格したのが2月。「ものは試しに」と思い、わずか4カ月後の6月、CFPの試験に挑戦しました。
しかし、その壁はとても厚く、あっけなく弾き返されてしまいます。勢いだけで合格できるほど、甘くはありませんでした。
落ちて当然とは考えていましたが、「なんとかなるだろう」という手応えも感じていました。「3年以内」という目標も見えたような気がしたのです。
ところが、そうは問屋が卸してくれません。6科目ある試験のうち、4科目はどうにか3年で通過したのですが、あとの2科目が難しく、最後の科目に合格するまでさらに4年の歳月を要したのです。
当時(2000年代の初め)、最寄りの試験会場は福岡でしたので、そのたびに沖縄から出向かなければなりませんでした。
さすがに、二度、三度と落とされるたびにへこたれそうになりましたが、それでも「自分で掲げた目標」なのだからと、歯を食いしばって猛勉強を重ねました。
家でもよほど気迫がこもっていたせいでしょうか、三男が学校で描いた「母親」という題の絵を見たら、机に向かっている私の姿でした。
それでも、仕事や勉強に必死に取り組む自分を見せることは、子供の教育にも役立ったのではないかと思っています。実際、子供たちから不満の声を聞くことも、以前より少なくなりました。
また、状況を変えることで、これまでと同じルーティンをこなすときの気持ちにも変化が現れました。子供を抱えて15年以上も仕事を続けてきたなかで、「育児をしながら」というのは大変だなと思うことも多々ありましたが、目標を設定してからというもの、子育てもまた楽しくなってきたのです。
入社当時、小さかった長男、次男はすでに高校生、中学生になっていましたが、私がねじり鉢巻きで勉強していた時期、長男の一回り下である三男はまだ手がかかる年頃でした。
ですから、
「小さい子供もいるのに、よくそんな生活ができているわね」
などと言われて不思議がられたものですが、勉強を始めて以来、一度も大変だと感じたことはありません。かえって、オンとオフの切り替えがスムーズになり、家族との時間も充実していたからでしょう。
すべては、目標から成果へとめぐるサイクルをしっかり守り、計画的に行動していたおかげだと思っています。時間割がしっかり整っていたので、それぞれが濃密な内容になったのです。
全世界の生命保険営業職トップ6%のメンバーで構成されるMDRT(Million Dollar Round Table)終身会員、CFPファイナンシャルプランナー。
沖縄県那覇市出身。幼少期に父を亡くし、小さな雑貨店を営む母親に女手ひとつで育てられる。中学生で母の元を離れ、牛乳屋を営む叔父の家で毎朝牛乳配達をし、従妹たちの子守をする生活に。高校卒業後、地元の銀行に就職(事務職)するが、結婚・出産を機に退職。
再就職活動中の26歳のとき、第一生命のセミナーに参加。創業者・矢野恒太の志に共感して、コミュニケーション下手のため避けていた「営業職」として入社することを決意。営業経験なし、ゼロからのスタートで、入社直後はまったく結果が出なかったものの、独自のマインドと方法を確立しながら3年後には頭角を現し、5年目にはトップセールスに。以来、営業一筋38年。2001年にMDRTに初選出(沖縄では初)されて以来、これまでに通算17回選出されている(10回以上の選出で終身会員)。
「営業とは一生懸命、人の話を聞くこと」が信条。
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