(本記事は、齋藤 隆次氏の著書『ビジネスエリートが実践している 異文化理解の全テクニック』KADOKAWAの中から一部を抜粋・編集しています)

面接で聞いてはいけないことが法律で定められている

面接
(画像=PIXTA)

アメリカに限らず、海外で従業員を雇う際に最も気をつけなければいけないことは差別です。最近ニュースなどで騒がれている言葉に「LGBT」があります。Lesbian(女性同性愛者)、Gay(男性同性愛者)、Bisexual(両性愛者)、Transgender(性別越境者)の略称ですが、LGBTであることを理由に採用しないことは当然違法となります。

シリコンバレーを抱え、多くのITエンジニアがいるカリフォルニア州は、アメリカのなかでも先鋭的な法律を定めることで有名です。

私が属していた自動車産業でも、環境に適合した自動車を規定する法律は真っ先にカリフォルニア州で定められました。電気自動車導入を推進する法律も、カリフォルニア州がアメリカをリードしています。差別撤廃についても同様です。

差別撤廃に関する先進国であるアメリカでは、差別に関する定義を法律で定めています。

カリフォルニア州公民権法第7編(いわゆる「タイトルセブン」)が最も有名です。「人種」「皮膚の色」「宗教」「性」「出身国」で差別をしてはいけないという法律です。

前記の理由で個人の採用を拒否したり、解雇したり、あるいはその他雇用に関しての報酬、期間、条件、または特権について差別することは禁止されています。また、同様の理由により被雇用者を制限、隔離、もしくは分離することも禁止しています。

私がアメリカで採用を行っていたときは、採用面接では「人種」「皮膚の色」「宗教」「性」「出身国」について絶対に尋ねてはいけないとアドバイスされました。

もし前記の要件を誤って尋ねてしまい、採用を却下したとき、その人物は会社側が差別により雇用を拒否したとして、訴え出ることができます。会社側は、他に採用を却下する正当な理由があったとしても、差別的な質問をした段階で不利になります。

したがって、採用面接では、業務に関係することのみ尋ねるのが重要です。たとえば、子どもの有無や年齢は業務に直接関係ありません。尋ねるとすれば、業務上出張を命令した場合、何が支障か、配慮してほしいことがあるかなどです。

日本の場合、採用時の差別撤廃については遅ればせながらも徐々に進んできています。その際モデルとなるのは、タイトルセブンに代表されるアメリカの仕組みなのです。

職務分掌は、アメリカでは「やってはいけない範囲」を示す

日本の会社における仕組みも、日々グローバルスタンダードが導入され、マニュアル化されてきていると感じている人もいるかもしれません。しかし、その目的まで掘り下げて考えると、日本とアメリカではその成り立ちに根本的な違いがあります。

その代表的な例が「職務分掌」です。日本における職務分掌は最低でもやるべきことを規定することが目的です。これに対し、アメリカの職務分掌は最低限やるべきことも当然書いてありますが、それに加えて、乗り越えてはいけない他部署との境界を定めています。

日本の場合、たいていは定められた業務の範囲をしっかりとこなそうとします。そのため、定めが限定されていると、部署間でどちらがやるべき業務なのか、あいまいな部分が残り、仕事のモレが生じてしまうことがあります。

アメリカでは、職務分掌は細かく定められており、その範囲を超えて仕事をすることは、それに見合った給与を要求することにつながります。これは本来その職務を担当している人の仕事を奪うということにもつながります。

そのため、アメリカの職務分掌は、自部門の職務範囲はたいていの場合、明確に決められており、その範囲内の業務をこなしていくのです。

職務分掌において、日本のモデルは隙間の空いたバルーンで、間の空間は自由に、気が利いた人が埋めていくイメージです。しかし、アメリカの職務分掌のモデルは、各部門の間に仕切り線を引いたイメージです。したがって、MECE(モレなく、ダブりがない状態)になっています。

日本では、始業前に社員全員で掃除をすることを励行している会社もありますが、アメリカではオフィスの掃除は専門業者に依頼するのが一般的です。掃除を社員が行うということは、その業者の仕事を奪うことにつながります。よって、一般にアメリカでは社員はオフィスの掃除をしないのが普通です。これが日本で定着している「全員参加の5S活動」がアメリカでは定着しない原因の一つです。

アメリカ人と仕事をするためには、この文化の違いを理解し、職務分掌を明確に決めておく必要があります。

会社の危急存亡のときでも主張する「それは私の業務ではない」

アメリカ赴任時、ようやく現地で生き抜けるだけの英会話をこなせるようになった頃のことです。オハイオ、デトロイト、メキシコに拠点を持つカーエレクトロニクスの主力工場が、いわゆる「ビッグ3」(ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー)から大きなビジネスを受注したのですが、生産能力と品質管理が計画どおりに立ち上がらないということで、私が急遽(きゅうきょ)、品質管理のバイスプレジデントとして転勤命令を受けました。

家族をロサンゼルスに置いたまま、すぐにオハイオに転勤。そのまま問題の部品メーカーなどへ向かい、約1カ月の間、アメリカ人の品質管理メンバーと一緒に、現場を渡り歩くことになりました。

そこで部品メーカーと解決策を探りました。議論のレベルが深く、私の英語がなかなか通じない場面が多かったです。それでも寝食をともにしている自社のアメリカ人とはあうんの呼吸で問題なくコミュニケーションがとれていました。しかし、私が英語で部品メーカーの社員に指示を出しても、皆ぽかんとしています。そんなとき、自社の品質管理担当者が「リックが言っているのはこういう意味だ」と話すと初めて強くうなずく。ようするに私の英語は自社の人にしか通じていなかったわけです。最初の頃は、私が英語で話していることを彼に英語で通訳してもらうという、なんとも歯がゆい状況がありました。

そうこうしているうちに、オハイオの現地本社で日本本社も交えたグローバル品質会議を開催することになり、全体の議長を私が務めることになりました。長期にわたる出張から帰り、オハイオの本社に出社した途端、英語で司会を始めると、すらすらと議事を進行することができました。この品質問題については自分が一番知っているという自信が、会話力の向上につながったのだと思います。同席していた本社の上司に驚かれました。一緒に部品メーカーを訪問して通訳していたアメリカ人の同僚も、私の上達ぶりに驚いていました。

会議は金曜日だったのですが、現地メンバーを集め、その晩に次週の月曜日から全米5つの自動車工場に不具合部品の選別チームを送る会議を開きました。5人ずつ5チームで延べ25人。全社の部門から送るメンバーを選出しました。この会議はもめにもめました。

「その業務は私の業務ではない」。部品の選別業務などということは職務分掌に定められていないからです。MIS(Management Information System 経営情報システム)はコンピュータを担当する部門で、HR(Human Resource)は人事を担当する部門、なぜ品質管理の仕事をしなければならないのだ、との弁です。

私がホワイトボードを叩いて、「今が会社の危急存亡のときなんだ。会社がなくなったら、MISもHRもないんだ」と話し、ようやく理解を得ることになりました。無事25名が日曜日に全米5工場に飛び、月曜日から不具合の選別を開始することができました。水際で不具合の流入をストップすることができたのです。

その後13カ月間、搬入不良ゼロを継続し、顧客のビッグ3から高い評価を得ることができました。また「ファミリー」という未来を一緒に語る12社の戦略パートナーの1社に選任されました。これはビッグスリー側もバイスプレジデントが担当になり、自社のアメリカ人トップのカウンターパーソンとなることを意味します。そして困ったことがあったら、パートナーとして、直接トップ同士が相談したり、将来を語り合うというものです。

また、その頃弊社カーエレクトロニクス北米部門の社長に帰国命令が出て、後任に私が任命されました。当時最年少(44歳)で生産現地法人の社長になることができました。

このときの体験で実感したのは、自分が属する会社が危急存亡の危機に立たされているときでも、職務分掌を持ち出して、「それは自分の業務ではない」と主張するのがアメリカ人だという事実です。

アメリカでは、個人の職務分掌は採用時に提示される職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)に細かく記載されています。職務記述書の役割は、個人の職務分掌を明確にして結果を出させることと、同時に他の社員の領域を侵すリスクを回避するためです。

そのときはなんとか気合いと情熱で彼らを動かすことができましたが、日本人との違いをつくづく感じたときでもありました。

このような場合を想定して、職務記述書に「必要に応じてその他の任務・責任が課せられる場合がある」という一文を入れておくのも手です。

あるいはチームワークの大切さや組織の状況、視野を広げることの大切さなど、本人が納得できる理由を添えることも重要です。

「職務分掌」の意識が高いアメリカ人を動かすには、「個人の利益」に直結することを訴えるのが最も効果的です。

ビジネスエリートが実践している 異文化理解の全テクニック
齋藤 隆次
異文化人材マネジメント・コンサルタント。パイオニア・インダストリアルコンポネンツインク元CEO。ヴァレオ(フランス系大手自動車部品メーカー)ジャパン元社長。グロービス経営大学院経営学修士(MBA)、中小企業診断士。1955年福島県生まれ。国立電気通信大学経営工学科卒。在学中は、行動科学や品質管理を学ぶ。大学卒業後、大手電機メーカー・パイオニア株式会社に入社。40歳でアメリカ・ロサンゼルスに赴任し、北米事業全体を担当。メキシコ新工場設立プロジェクトのマネジメントにも携わる。44歳のとき、現地子会社パイオニア・インダストリアルコンポネンツインクのCEOに就任、経営合理化に辣腕を振るい、黒字化を果たす。帰国後ヘッドハンティングを受け、フランス系大手自動車部品メーカー・ヴァレオの日本国内事業部長に就任。ドイツ・フランス・日本の文化のはざまで会社再生に取り組む。50歳でアジア統括部長に、57歳で日本法人社長に就任。パリにあるヴァレオ本社リエゾンコミュニティメンバー(全世界9万人の社員のトップ30人)に唯一の日本人として名を連ねる。在任中は世界市場における日系顧客からの受注を3倍に伸ばすなど、業績拡大に寄与する。また、「和魂洋才」の考えの下、外国の経営システムや考え方の長所を取り入れつつ、和のコミュニケーションと融合させながら進めていく異文化人材マネジメントの手法を確立する。これまで日本国内外で接した外国人は20カ国以上、のべ5,000人以上に及ぶ。

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