本記事は、堀内都喜子氏の著書『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(ポプラ社)の中から一部を抜粋・編集しています

世界のトレンドはフィンランドの「シス」!?

目標達成
(画像=tomertu/Shutterstock.com)

2017年1月、世界最古の日刊新聞であるイギリスのタイムズに掲載された記事の見出しが、フィンランド人の度肝を抜いた。その見出しとは「グッバイ・ヒュッゲ、ハロー・シス:新たな北欧トレンド」というもの。

ヒュッゲというのは、もともとデンマーク語で心地いい時間や空間といった意味合いの言葉だ。幸福度世界トップクラスのデンマークや北欧のライフスタイルのキーワードとして2016年ごろから欧米で流行語となっていた。ヒュッゲな時間や空間から生まれる幸福感や充実感をもとめて、ヒュッゲの指南本は日本でも多く出版された。

しかしこの見出しの記事は、ヒュッゲはもう置いておいて、これから来るトレンドはシス(SISU)だと語ったのだ。シスは、フィンランド語で、困難に耐えうる力、努力してあきらめずにやり遂げる力、不屈の精神、ガッツといった意味合いがある。ヒュッゲのような幸福感に満たされるフワッとした言葉とは全く違った、厳しさが感じられる言葉でもある。

記事には「今年、持つべきものはシスで、かなり来ている言葉」と書かれていたが、EU離脱など政治的にも様々な難しい局面を迎えようとしているイギリスにとって、今必要な精神性として捉えられたようだ。

フィンランド人からしてみれば、シスは昔からあった言葉で、他の外国語にはなかなか訳せないフィンランドの国民性を語るキーワードだと感じられているようだ。しかし、それがまさか海外の人たちに、トレンドワードとして紹介されるなんて夢にも思ってなかっただろう。

BBCやCNNも「シス」を紹介

しかも、このシスはその後も様々な海外メディアで紹介されつづけている。例えば、イギリスのオンライン新聞インディペンデントは2018年2月の記事で「ヒュッゲは忘れて、シスに備えよう。最新の北欧トレンドの準備はいい?」といった見出しで、シスについて特集した。

また、BBCも2018年5月に、「シス:内に秘めた強さを表すフィンランドのアート」と題し、シスを掘り下げている。しかもこの記事の中には、シスが日本語の「頑張る」と通ずるものがあると書かれている。他にもフォーブスは2019年3月に「なぜ、ビジネスリーダーはシスを知るべきか」と紹介し、CNNやロサンゼルス・タイムズもフィンランドに関する記事でシスに言及している。

時を同じくして、フィンランドは国連の幸福度ランキングで1位と発表された。すると、ハッピーな国フィンランドの秘密は何だろうということで、ますますシスというフィンランド語が注目されるようになったのだ。

これに対し、フィンランド人自らも、あらためてシスを分析し、ライフスタイルと結びつけて海外に発信するようになった。ヘルシンキの空港の本屋を覗けば、英語で書かれたSISUに関する本が数冊見つかる。

ノキアのCEOも「シス」に言及

フィンランド人にシスとは?と聞いて必ず出てくるのが、「シスは灰色の岩さえ突き破る」というたとえ。ある友人は「シスは仕事や、人生において、灰色の岩さえ突き破ってまでも、何かを成し遂げたいという強い気持ち。不可能に思えても立ち向かい、やり遂げてしまうこと」と言う。

他にも「仕事やタスクで時間の制約がある中、やってしまわないといけない時、とにかくやり遂げる。シスは逃げない気持ち。灰色の岩を突き破るように、困難があっても、すぐにはあきらめないこと」と別の友人は話してくれた。

だが、実はシスという言葉は、日本の「頑張る」と比較すると、圧倒的に使用頻度も低く、日常会話によく聞かれる言葉ではない。フィンランドでは「言葉にするよりも行動で示す」ことが伝統的に好まれているが、そのせいなのか、それともシスそのものによるものなのか、容易に口にして表明する言葉ではなく、内に秘められている気持ちといった感じだ。それでも、時々ビジネスのインタビューでシスという言葉を耳にすることがある。

ヨルマ・オッリラは、2004年ノキアのCEOだった当時、シスを使って会社の精神を紹介している。「シスの訳はガッツ。だが、忍耐の意味もある。長期的な要素もある。様々な困難を乗り越える。この気候ではたくさんのシスがないと、生きていけないんだ」。彼の言う気候というのは、フィンランドの憂鬱で厳しい冬のことであると同時に、ノキアが置かれる競争の厳しい市場のことでもあった。

フォーブスの記事では、スタートアップ企業のフィンランド人CEOが、会社を設立してから今日まで何度もシスに導かれてきたと語り、起業当初になかなかクライアントが得られなかったり、困難が立ちはだかったりした時に周りがどんなに諦めろと言っても「諦めるのではなく、シスは時に天使にも悪魔にもなって決意と成功への意欲を与えてくれた」と表現している。

戦争でもスポーツでも「シス」

シスという言葉に注目が集まったのは、今が初めてではない。かつて戦争やオリンピックなどを通じて、シスはフィンランド人のアイデンティティーとして語られてきた。2度にわたるソ連との戦いで、国力も人口も大きく劣るフィンランドが激しく抵抗し、独立を死守した事実は世界的にも大きな驚きを持って伝えられた。

今でも、日本人を含む多くの歴史ファンの中には、この2つの戦争に耐えたフィンランドにロマンを感じる人もいる。そして、その激戦で発揮されたのが、フィンランド人が持つシスだとよく言われる。

実際、冬戦争後の1940年1月、すでにニューヨーク・タイムズが「シス:フィンランドを表す言葉」として冬戦争の戦いぶりと共にシスを紹介している。

スポーツの世界においては、戦争や独立の前からシスという言葉が少しずつ海外で知られつつあった。その理由は、フライングフィンと呼ばれる中・長距離走選手の活躍だ。

日本が初めてオリンピックに参加した1912年のストックホルムオリンピックでフィンランドの選手は5000メートル、1万メートルなどで3つの金メダルを獲り、その後のオリンピックや世界選手権でもしばらく中長距離はフィンランド人が表彰台の常連だった。過酷な中長距離を走りぬくフィンランド人ランナーの強さの秘訣として、シスの言葉が使われるようになった。

中でも、1972年ミュンヘンオリンピックの1万メートル決勝でのラッセ・ヴィレンの走りは、シスを体現しているとして今でも動画がSNSで拡散されている。どんなレースだったかというと、ヴィレンは12周目にベルギー選手と接触し足がもつれ、転倒。

先頭集団から離されてしまう。しかしその後追いつき、残り600メートルになったところで、ラストスパートをかける。結果、トップでゴールを切り、金メダルを獲得した。今でも大きな大会でメダルをとると、フィンランド人選手たちは、「シスで走った」とか「シスで厳しい練習に取り組んだ」などとコメントする。

仕事も、家庭も、趣味も、勉強も貪欲に

「自分の人生や日々にシスは感じられるか」とフィンランド人と話をしていた時、ある50代の女性は「私は今までいろんなことをシスでやり遂げてきた」と語った。

実際、彼女は2人目の子どもの産休・育休中に大学でプログラミングの勉強を始め、育休後にソフトウェア会社に転職した。

その後、子どもを2人抱え、ご主人は出張が多くてほとんど家にいない中、終日仕事をして、さらに大学の卒業論文を書き、留学生との交流も週1ペースでしていた。

さらに、スポーツも好きで、週末になれば体を動かし、大会にも出場していた。近くで見ていて、どうしてそこまでするのだろう、と不思議に思ったこともある。

しかし、彼女が特別すごいわけでもなく、仕事も、家庭も、勉強も、趣味も貪欲に追い求めている人は男女問わず少なくない。その彼女も45歳を過ぎてさらに勉強に勤いそしみ、修士課程と教員課程を取得した。

教員課程は実習や様々なレポート提出が必要で忙しくなるため、その1年間は休職して勉強に励んだ。「勉強してどうするの?」と聞くと、「引き出しは多く持っていたいから」と答えが返ってきた。

彼女はこの「引き出しを多く持つ」という言葉が大好きだ。もともと新しいことを学ぶことも好きだったようだが、常に人生の選択肢や自分の振り幅を広く持ちたいと感じているようだ。

こんな風に、フィンランド人の、特に女性の貪欲さに驚かされたことは、一度だけではない。大企業の事務として働く友人女性は、男の子2人を抱え家庭と仕事で日々忙しいながらも、趣味のスポーツと語学の勉強をあきらめることなく、マイペースながらずっと続けている。自分のやりたいことや夢に向かって、年齢や環境に関係なく常に前進している姿はすがすがしいし、その精神力には頭が下がる。

もちろんそれは、ワークライフバランスがとれていることや、周りの理解、そして家庭でも男女平等がある程度実現できているからではある。だが、それ以上に「〜だから、しない」ではなく、「〜をしたいから、する」というポジティブで、貪欲に生きている姿はかっこいいし、やはりこれも1つのシスなのかと感じる。

「シス」は自分の強い気持ち

シスに関する感覚はフィンランド人でも多少のバラつきがある。仕事でなんとか締め切りに間に合わせるために努力した話や、仕事がうまくいかなかった時、諦めずに他のやり方を考え続けて大逆転した話など、身近にシスを見出す人もいる。

一方で、シスという言葉を容易に使いたくない人たちもいる。よく、シスの例として厳しい気候条件の中のフィンランドの暮らしが紹介されるが、それは決してシスではないと言う友人たちもいる。

ある友人は「シスには必ず、不可能とも思える困難だったり、かなり難しい課題が前提としてある。それに対して不可能を可能にするのがシスなのだから、そんな容易なことでは使えないし、使っちゃいけない」と言う。

別の友人も「私の今までの人生で自分に、シスがあると感じられた出来事は何もない。学生時代、どんなに寒く、吹雪でも毎日1時間歩いて学校に通っていたけれど、それはシスではなくてそれしか方法がなかったから。車も運転できないのだし」と冷めた口調で言う。

ただ、1つみんなが口を揃えて言うのは、シスは自分の強い決意や気持ちだということだ。「誰かに強制されるものではない。自分がそうしたいからする。誰かの期待のためだけにしているのとも違う。それに、プレッシャーをかけるのは自分であって、自分が望む形のため努力しているだけ」。

その一方で、「シスは、頑固や無理のしすぎとも紙一重。弱さを受け入れられず、ただただ頭を壁に打ち付けてしまうリスクもある。時にどんなに頑張っても、石を砕こうとしても、ダメな時もある。そういった時には、助けを求める勇気を持つことも必要だ」と友人たちは語る。

フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか
堀内都喜子(ほりうち・ときこ)
長野県生まれ。フィンランド・ユヴァスキュラ大学大学院で修士号を取得。フィンランド系企業を経て、現在はフィンランド大使館で広報の仕事に携わる。著書に『フィンランド 豊かさのメソッド』がある。

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