「グロースハックはマーケティング手法の一つとされるが従来と何が違うのか」――。こんな疑問を抱く方も多いのではないでしょうか。近年は求人情報で「グロースハッカー」の募集も増える傾向にあります。実際にグロースハックの手法を用いて劇的に売り上げを伸ばした企業が多くある一方、よく理解しないまま導入した結果、思うように成果が上がらないケースも中にはあるようです。

本記事ではグロースハックについて、その定義や台頭の背景を明らかにしながら、成功させるための考え方や手順、実践の際に使うべきフレームワーク、注意すべきポイントについて解説します。

目次

  1. グロースハックとは?定義と台頭の背景
  2. 従来のマーケティング手法との違い
  3. グロースハックで成功した具体的な事例紹介
  4. 必要な分析手法・知識と注意点
  5. 成功するための4つの重要ポイント
  6. グロースハック環境を整える3つの準備
  7. 払拭しておきたい2つの思い込み
  8. まとめ

グロースハックとは?定義と台頭の背景

グロースハックはマーケティングの一手法です。ただしプロダクト(製品・サービス開発)と完全に分かれているマーケティング手法ではなく、市場分析のみを扱うものでもありません。ユーザーに求められる製品・サービスを見つけて開発し、通常よりも早いスピードで成長を促すためのアクション、またそのための技術・手法を指します。いわばプロダクトとマーケティングのハイブリッドだと言えます。

グロースハックの位置付け

ここではグロースハックの定義と歴史、必要とされる背景について説明します。

言葉の定義

グロースハックは英語で書くとGrowth Hackです。またこの手法を用いてマーケティングを行う人のことをグロースハッカーと呼びます。

ハックやハッカーと聞くと、「ハッキング」をイメージして良い印象を持たない人もいるかもしれません。確かに「ハッカー」にはサイバー犯罪用語としての意味もありますが、本来は高い技術をもつIT開発者や技術者を指します。

「ハック」とはそもそも、IT技術を駆使してさまざまな創意工夫を行い、問題を解決することを意味します。例えばFacebook(現Meta)創業者のマーク・ザッカーバーグ氏は「ハッカー・ウェイ(ハッカー精神)」と呼ばれる企業モットーを育てました。これは具体的には①最初から完璧を目指さない②何度も修正、改善を繰り返す③完璧にやるよりもまず実行する――といった意味が込められています(※)。

※Mark Zuckerberg,“LETTER FROM MARK ZUCKERBERG”.

このことからも分かるように、グロースハックとは、「成長」のために「ハック(創意工夫を重ねて問題を解決し、より良いサービスを打ち立てること)」を継続する、という意味と言えます。

言葉の歴史

グロースハックは、米国で誕生した新しいマーケティング手法・概念です。米国の起業家ショーン・エリス氏が2010年にブログ(※)で提唱しました。

※Sean Ellis,“Find a Growth Hacker for Your Startup,”STARTUP MARKETING,July 26,2010.

エリス氏はDropboxの創業期にマーケティング担当者として携わり、グロースハックの手法を用いてDropboxをオンラインストレージサービスの世界大手に成長させました。DropboxだけでなくFacebookやTwitterなどが、この手法を用いてわずか数年で億単位のユーザーの獲得・定着に成功したことから注目され、現在に至ります。

必要とされる理由

グロースハックが必要とされる大きな理由は、近年の製品ライフサイクルの短縮化にあります。

カリフォルニア大学バークレー校のヘンリー・チェスブロウ教授は著書の中で次のように述べています。

インターネットの普及とテクノロジーの進歩で知識と情報の流れが加速すると同時に、製品寿命も短くなった。そこで新製品がどんどん市場に出回る。多くの企業がやりにくくなったと感じる昨今、顧客のニーズを満たすために、カスタム化した製品やサービスへのニーズが増大し、製品寿命はさらに短くなる。

引用元:ヘンリー・チェスブロウ『オープン・サービス・イノベーション 生活者視点から、成長と競争力のあるビジネスを創造する』CCCメディアハウス、2012年

こうした時代に従来のマーケティングのような、「長期間をかけ」「多額の予算をかけ」「綿密に戦略を練る」手法では対応できない場面も出てきました。時間をかければかけるほど、情報は古くなります。サービスや製品を完成させ市場に投入しても、そのときにはニーズが全く別のものに変わってしまっていることも少なくありません。さらに大きなプロジェクトでは、一度動き出したら計画変更や修正、停止は難しいものです。

グロースハックは「短期間で」「少ない予算で」「スピード感をもって」急成長・急拡大を目指す手法です。また小規模に開始するため、ニーズに変化があれば方針の変更も容易です。市場が求めるサービスが目まぐるしく更新される現代だからこそ、グロースハックの考え方と手法が必要とされています。

従来のマーケティング手法との違い

次に、グロースハックと従来のマーケティング手法の違いについて具体的に解説します。

グロースハックと従来のマーケティングの違い

(1)プロダクトとマーケティングを横断して行う

従来のマーケティング手法との最大の違いは、「データ分析をもとに市場ニーズをつかみ、開発とマーケティングを同時に進行し成長させること」です。

従来のマーケティングではデータ収集と分析、製品・サービス開発(プロダクト部門)、営業部門はそれぞれ独自に動いており、横方向の連携はあってもそれを統括する仕組みは難しかったと言えます。

そのため「良い商品・サービス」を作っても、そもそもその商品やサービスが本当に必要とされているのか、分析した結果が反映されていないこともあります。また「売り方」だけを考えていると、製品とユーザーニーズとの間にずれが起きていても改善点がプロダクトチームに伝わらないこともあり得ます。

グロースハックは、このようにバラバラになりがちだった各部門を連携させたものです。ただし既存の部門を融合・連携させるのではなく、新たに専門チームを作り、新しい施策やアイデアを実行に移します。具体的には、以下の通りです。

<グロースハックの流れ>

Step1:開発前に、まずその製品に本当に市場ニーズがあるかどうかを分析・検証する
Step2:ニーズに沿った製品を開発し販売する。この際、製品そのものに拡散させる仕組みを乗せる
Step3:市場への投下後も常にモニタリングを行い、データ収集と分析、ニーズとの齟齬がないか調査する。その内容を元に製品自体の改善を持続させる
Step4:上記の流れでPDCAを高速で回転させる。ニーズや購買動向に変化があればすぐ分析し製品に落とし込む

ニーズを正しくつかみプロダクトを改善しながら市場に提供すること、これらを高速で行うことで、企業自体を急速に成長させられるのがグロースハックの特徴でありメリットです。

(2)製品の中に成長の仕組みを作り込む

グロースハックは「多くのユーザーに使い続けられるプロダクト(製品・サービス)」を開発し、そのプロダクトが成長し続けることを目指します。特徴的なのは、成長のための仕組みをプロダクト自体に持たせることです。

例えばグロースハックで成長した企業の一つであるTwitterは、サービス開始当初、獲得したユーザーが定着しないという課題を抱えていました。しかし、同社の専門チームがデータを分析したところ、ユーザー登録初日に5~10人をフォローしたユーザーの定着率が高いことが分かりました。そこで、登録したユーザーに対して「おすすめユーザー」を表示し、まず10人をフォローするよう勧めたのです。この施策によって定着率が向上し、その後の大きな成長につながりました。
参考:ライアン・ホリデイ『グロースハッカー 第2版』日経BP、2015年

このように、グロースハックでは製品やサービスそのものにマーケティングの機能を組み込むことができます。

(3)予算が少ないスタートアップ企業に急成長をもたらすことも可能

グロースハックによって、少ない予算でも企業を急成長させることが可能です。

上記(2)の通り、グロースハックを用いた製品・サービスは自走式のマーケティングを行う仕組みを持っています。「良いもの」という漠然としたものではなく「必要とされている」「たくさんの人が使ってくれる」「良いと思ったユーザーが他の人にそれをすすめやすい仕組みがある」製品・サービスを提供することで、営業・広告費用を従来ほど使う必要がなくなります。製品・サービスの改善に優先的に予算を使うことでユーザーの利用満足度が上がるため、さらに新規のユーザー獲得も可能となる流れを持続できます。

この手法は、時間や予算が限られるスタートアップ(創業間もない企業)にも最適です。

有名な事例では、1996年に世界で最初となる無料電子メールサービスを提供したHotmailがとった戦略があります。当時スタートアップだったHotmailは、送信される全ての電子メールの最後に「P.S. I love you. Get your free email at Hotmail.」という文言とアカウント登録ページへのリンクを入れ、無料で利用できることを訴求したのです。少ない予算にもかかわらず、この施策によってHotmailはサービス開始わずか18ヵ月で1200万人のユーザーを獲得することに成功しました。

スタートアップ企業が投資家に将来性があると判断されるためには、短期間で成長を目指さなければなりません。最小限の予算で最大限の急成長も可能なグロースハックは、その意味でスタートアップがトライするのに向いています。

<参考>ウォーターフォール型開発とアジャイル型開発

システム開発のフローには、大きく分けて昔からあるフォーターフォール型と、より最近出てきたアジャイル型があります。アジャイル型はグロースハックの考え方と共通しているため簡単に紹介します。

ウォーターフォール型開発はひとつの施策についてまず全体像を決め、長期間かけて後戻りをせず完成形を世に出します。仕様がある程度決まっており変更が少ないケースで使われます。アジャイル型は仕様が決まっていない小さな施策を試行的にリリースし、改善を繰り返してより良い製品へと高めていく手法です。

ウォーターフォール開発とアジャイル開発の違い

従来のウォーターフォール型では「完成形を世に出す」ため、突然の仕様変更やユーザーニーズの変更への対応が難しい側面がありました。近年はITの進化とともに、社会の仕組みや必要とされるシステムそのものが短期間で変容するケースが多くなっており、開発スピードも以前より求められています。アジャイル型は素早い検証と分析、方向転換と仕様改善・変更がスピード感を持ってできる仕組みです。この意味で、グロースハックと共通する手法であると言えるでしょう。

グロースハックで成功した具体的な事例紹介

すでにいくつかグロースハックで急成長した企業を見てきましたが、ここではさらに3つの成功事例を紹介します。

(1)Dropbox

Dropbox

クラウドストレージ世界大手のDropboxは、グロースハックの提唱者であるエリス氏がかつてマーケティングを担っていた企業です。エリス氏が同社のマーケティング責任者に任命されたのは、Dropbox創業から1年が経った2008年のことでした。

当時のDropboxは、シリコンバレーのIT関係者を中心に熱い支持を集めていましたが、一般ユーザー層への浸透に苦戦していました。エリス氏がユーザーデータを精査したところ、Dropboxのユーザーの3人に1人が既存ユーザーから勧められて利用していることが分かりました。クチコミは好意的なのに、それをマーケティングに生かせていなかったのです。

そこでエリス氏が目をつけたのが、紹介1件につき10ドルをユーザーのアカウントに付与して成功したPayPalの事例でした。しかし創業間もないDropboxには同様の紹介プログラムを実施できる予算がありません。

代わりの「紹介料」として浮上したのが、ストレージ容量を追加でプレゼントすることでした。紹介した側・された側ともに250メガバイトずつの追加容量をもらえる紹介プログラムを公開したところ、紹介を通じた新規登録は6割も増加しました。

ユーザーからの好評価を受け、エリス氏は特典の詳細やUX・UIといった細部にわたって紹介プログラムのさらなる最適化を試みました。こうして2010年には、ユーザー数はサービス公開直後の10万人から400万人を超えるまでになり、現在では全世界数億人に利用されるサービスに成長しています。

参考:ショーン・エリス、モーガン・ブラウン『Hacking Growth グロースハック完全読本』日経BP、2018年

(2)Eight

Eight

Eightは、法人向け名刺管理サービスを手がけるSansanが運営する個人向け名刺管理アプリです。名刺をスマートフォンでスキャンして管理できる便利なアプリですが、2012年のサービス開始直後はユーザー数の伸びが芳しくありませんでした。そこで社内に設立されたのが専門のグロースチームでした。

グロース施策の一例として、ユーザーの間で口コミになりやすい企画を実施し、低予算でユーザーを獲得したことが挙げられます。コワーキングスペースで名刺をスキャンし放題というキャンペーンを展開したほか、スマホで名刺をスキャンするための専用の台をユーザーに配布したのです。

また、初回登録時のチュートリアルの改善にも力を入れました。自分の名刺をスキャンして登録するまでの流れが自然に起こるよう、2週間に一度の改善を積み重ねた結果、名刺登録率が20ポイント上昇しました。

ヘビーユーザーに対しては、ログイン回数やアクション回数が一定の指標に達したら、アプリのレビュー依頼をポップアップ表示するようにしました。ヘビーユーザーが好意的なレビューを投稿してくれることで、レビューの件数や平均点が増加し、新規ユーザーの獲得につながりました。

これらの施策の結果、Eight は2022年4月時点で300万人を超えるユーザーに利用されるまでに成長しました。

参考:梅木雄平『グロースハック 予算ゼロでビジネスを急成長させるエンジン』ソーテック社、2014年

(3)PayPay

PayPay

QRコード決済最大手のPayPayも、グロースハックの理念を使って急成長しました。タレントの宮川大輔さんが出演するテレビCMなどマスマーケティングの印象が強いPayPayですが、ユーザーごとの属性やフェーズによってプロモーションの方法や内容を切り替える1to1プロモーションも併用しています。

1to1プロモーションの目的は、PayPayをダウンロードしたユーザーとのエンゲージメントを向上させ、継続率を高めることにあります。ユーザーに長く使ってもらうには、ユーザー一人一人のタイプに合わせたアプローチが必要となるからです。

そこでPayPayでは、ユーザーを利用状況に応じて「新規登録」「アクティブ」「1ヶ月以内に決済なし」「休眠」の4つのセグメントに分類し、継続率に影響するユーザー行動を分析して改善策につなげました。

例えば分析の結果、「新規登録からY週以上にわたって決済がないユーザーは休眠する傾向がある」ことが分かったとします。その場合、「Y週以内に決済をX回したらZ円をプレゼント」といったキャンペーンを打ち、ユーザーの休眠を防ぎます。

PayPayでは、こうしたキャンペーンを毎月3〜4回の頻度でスモールテストを繰り返し、成功したものをセグメント全体で実施しています。まさにグロースハックの「小さな施策をスピード感を持ってサイクルに乗せる」ことを実行していると言えるでしょう。

参考:『ユーザーニーズを掘り起こすプロモーションを設計・実行するグロースマーケター』PayPay Inside-Out、2021年4月22日

(4)Airbnb

Airbnb

Airbnb(エアビーアンドビー)は、バケーションレンタルのオンラインマーケットプレイスを展開するソーシャルネットワーキング企業です。Airbnbのグロースハッカーは、アメリカの巨大売買コミュニティサイトであるCraigslist(クレイグリスト)を使って、約1,000万人のユーザーを、コストを掛けずに施策を行って獲得しました。

その方法は、AirbnbのユーザーとCraigslistのバケーションレンタルのカテゴリが重複していることに着目し、Airbnbへ投稿するとCraigslistにも自動で投稿できるようにしたことです。この施策によってCraigslistから大量のユーザーが流入し、Airbnbは約1,000万人のユーザーを獲得することができました。アクセス数を大幅に伸ばした施策の成功事例といえるでしょう。

(5)PayPal

PayPal

電子メールアカウントとインターネット決済サービスを展開するPayPalは、紹介マーケティングによるグロースハック事例で有名です。PayPalはサービス開始当初はテレビやラジオなどの広告媒体を使って宣伝活動を展開しましたが、思うような効果が上がりませんでした。

そこでPayPalはアカウント開設を促進するため、PayPalでアカウントを開設すると自分のPayPal口座に10ドルが振り込まれ、友人・知人にPayPalを紹介すると同じく10ドルが自分の口座に振り込まれる紹介制度を実施しました。

PayPalは2002年にeBayに買収されますが、ユーザー獲得だけでなく、eBayへの統合・取り込みでPayPalを利用できる場所を拡大するグロースハックを実現しています。

必要な分析手法・知識と注意点

ここではグロースハックを導入する前に知っておくべき分析手法やテスト方法、また用いる際の注意点を解説します。ただし企業によっては、この手法に独自のフレームワークを追加しているケースや、そもそも分析手法が適していないと考えて使っていないケースもあるため注意が必要です。目的に合った適切なフレームワークを選びましょう。

(1)AARRRモデル

AARRRモデル

グロースハックにおいて基本となるフレームワークが「AARRR(アー)」モデルです。このモデルはサービスの成長をユーザーの行動に合わせて5段階に分けた漏斗(ろうと、ファネル)状に整理したものです。

<AARRRモデル>
①Acquisition(アクイジション):ユーザーの獲得と増加
②Activation(アクティベーション):ユーザーによるサービスの満足度向上
③Retention(リテンション):ユーザーに繰り返し使ってもらい、リピーターを獲得
④Referral(リファラル):ユーザーに友人を紹介してもらう
⑤Revenue(レベニュー):課金行動を促す

また漏斗状になっているのは、各段階のユーザーの離脱率を表します。ステージが進むほど離脱率は少なくなることがわかります。

【注意点】

AARRRモデルは、グロースハックの施策順序に並んでいません。グロースハックではまず何よりも「そのプロダクトにニーズがあるか」を念頭に置いてプロダクト開発することは説明した通りです。ニーズのない製品にどれだけ力を入れて集客しても、すぐに離脱されてしまいます。まずは施策順序として以下の順に考えることで、使い続けてもらえる製品になり、より成功に近づけるでしょう。

ステージと意味内容
①Activation
ユーザー活性化
そもそもその製品にニーズはあるか?
ユーザーの初回利用時に製品の魅力がユーザーに伝わっているか?
②Retention
利用の継続
ユーザーは続けて利用しようと思うほど満足しているか?
③Referral
紹介
ユーザーは知人友人にその製品を紹介したくなるほど満足しているか?
④Revenue
収益化
ユーザーはその製品に課金してもよいと思うほど満足しているか?
⑤Acquisition
ユーザー獲得
製品に興味をもった人が新たに利用を開始してくれているか?
製品の価値を広めるための正しい訴求方法を選べているか?
※山裕樹・梶谷健人『いちばんやさしいグロースハックの教本 人気講師が教える急成長マーケティング戦略』(インプレス、2016年)を参考に作成

このステージ遷移は、エリス氏の「スタートアップミラミッド」(下図左)とも共通します。まず根底に「製品/市場との適合性」を置き、そこからスタートして成長させる手順です。

<スタートアップピラミッドとグロースピラミッド>

スタートアップピラミッドとグロースピラミッド
出典:Sean Ellis,”The Growth Pyramid Revisited,”GrowthHackers Blog,March 16,2018.

後にエリス氏は「グロースピラミッド」でこれをさらに詳細にアップデートしています(上図右)。しかし、「製品の市場との適合」は第1ステージであることには変わりありません。

(2)A/Bテスト(分割テスト、バケットテスト)

A/Bテスト(分割テスト、バケットテスト)

A/Bテストとは2つのパターンのコンテンツパフォーマンスを比較し、どちらがユーザーに対してよりアピール率が高いかを確認するものです。

Webサイトの場合、バナーや広告をランダムに表示させてコンバージョン率(CVR)とクリック率(CTR)を測定し、成果の高かったほうを実装します。A/B/Nテストのように3パターン以上でのテストも可能です。この場合Nは「不明」を意味します。

例えばレシピサイトの「クックパッド」は、会員向けメールマガジンで有料サービスに誘導するために複数のキャッチコピーをテストしました。その結果、「96%が効果を実感している」というコピーのクリック数が「100万人が使っている」のコピーに約2.5倍の大差をつけました。さらに、反応が良かったコピーを有料サービスの登録画面に用いてA/Bテストを繰り返し、最も反応があったデザインを採用しています。
参考:ライアン・ホリデイ『グロースハッカー 第2版』日経BP、2015年

外国語学習アプリの「Duolingo(デュオリンゴ)」は、最適なレッスンをユーザーに提供するため、A/Bテストを行って改善につなげています。例えば、レッスンスタート時の実力診断テストの文言を「テストを受けて自分にピッタリのレベルを見つけよう」から「レベル診断クイズにトライ」に変更したところ、利用者が急増しました。「テスト」という言葉がなくなったことにより、利用者の抵抗感が減った可能性があるといいます。
参考:「実は『勉強したくない』 本音見抜く外国語学習アプリ」日本経済新聞、2021年5月9日

【A/Bテストを利用する際の注意点】

ファッションアプリiQONを運営するVASILY(※)社長を努めていた金山裕樹氏は、A/Bテストだけを行なっていてもむしろ成長につながらないと注意を促しています。A/Bテストでは全体の母数を大きくすることにはつながらず、意思決定の際に二択までしか考えないようになってしまう恐れがあるというのが理由です。
参考:金山裕樹・梶谷健人『いちばんやさしいグロースハックの教本 人気講師が教える急成長マーケティング戦略』インプレス、2016年

(※)VASILY は2017年にZOZOが買収、iQONは2020年にサービスを終了しました。

(3)コホート分析

コホート分析は一定条件・属性によってグループ分けされたユーザーが、どのような行動変化を起こすかを調べる分析手法です。例えばキャンペーンを実施した時期ごとにユーザーを分けて行動を計測し、離脱率が異なる場合、より定着率を上げるにはどの時期にキャンペーンを打つべきかなどを把握するのに役立ちます。コホート分析はGoogleアナリティクスでも見ることが可能です。

コホート分析のメリットは素早い改善が可能になる点です。ユーザーの行動が数値化されるため、リピート行動するキーがどこにあるのか、仮説を立てやすくなり、プロダクトの改善につなげやすくなります。スピードはグロースハック成功のキーワードでもあるため、相性が良いと言えるでしょう。

成功するための4つの重要ポイント

グロースハックを導入して成功する(=短期間で急激な成長を果たす)ため、4つのポイントを押さえておきましょう。

(1)その製品に需要があるかどうか

需要がないものに資金をつぎ込み、開発にリソースを割くほど無駄なことはありません。グロースハックで最も重要なのは「そのプロダクトに需要はあるのか(マーケットが求めている製品・サービスか)」をデータ収集と分析で知ることです。

企業データを分析するCB Insightsによる調査(※)では、スタートアップが失敗する理由の1位は“Run out of cash / failed to raise new capital(資金不足あるいは資本の調達の失敗)”の38%でしたが、ほとんど同率の2位が”No market need(市場で必要とされていない)”で35%に達しました。市場の需要を的確にリサーチすることがいかに重要か分かります。

※“The Top 12 Reasons Startups Fail,”RESEARCH BRIEFS, August 3,2021.

(2)情報収集+テスト+分析

グロースハックはユーザーの行動からニーズを探り、数字として可視化していきます。そしてその製品が本当に必要とされているのか、継続して使ってもらえるのか、別のユーザーに紹介してもらえるのかなどを探ります。データのない、根拠のない「この商品は売れる、自分の勘で分かる」というような独断的、属人的な意見で製品開発をすることはあり得ません。そのため、データ収集と分析は非常に重要です。

(3)スピード

「結論が出なかったり、無駄に終わったりすることが日常茶飯事」(※)のグロースハックにおいて、スピードは何より重要です。施策の全てが成功に結び付くわけではないからこそ、スピードアップすることで多くの試行と失敗を繰り返し、失敗の理由を分析し、成長の見込みのあるものは改善を行ってさらに試行する――というPDCAサイクルを高速で回す必要があります。

※ショーン・エリス、モーガン・ブラウン『Hacking Growth グロースハック完全読本』日経BP、2018年

(4)専門チーム

グロースハックを導入する際は専門チームを作る必要があります。

「完璧を目指すのではなく、まず実行し改善する」は、グロースハックによって成長が加速したFacebookの社訓です。グロースハックでは完成形は求めません。常に成長するサービスを短期間で改善しながら、スピード感を持って打ち出していきます。市場で求められていないと分かれば、損失が大きくなる前に速やかに撤退することもあります。

従来型(上記で紹介したウォーターフォール型ともいえる)の開発やマーケティングとは逆の手法になるため、これまで大量の資金を使い完成形を市場投入していた企業にとっては、急に導入するのは難しいかもしれません。そのため、これまでの部門とは別に専門チームをつくり、「グロースハッカー」を採用する、あるいは育てる必要があります。詳細は次項で述べます。

グロースハック環境を整える3つの準備

グロースハックを成功させるために環境づくりは重要です。そのポイントをお伝えします。

(1)新たに専門チームをつくる

従来のように分析だけ、売り方を考えるだけ、製品開発だけなどの単一業務部門がそれぞれ独立している組織では、グロースハック本来の手法が成り立ちません。新たに専門チームを作る必要があります。

専門チームを新たに編成することが難しければ、主軸となるグロースハッカーに、関連する部門全体を横断し協力を要請できる権限を与えます。

専門チームには、エリス氏の著書『Hacking Growth グロースハック完全読本』では6つの役割が必要としています。

<エリス氏が考えるチーム構成>
①グロースリード:スケジュール設定と管理など縁の下の力持ち
②プロダクトマネージャー:チームリーダー
③ソフトウェアエンジニア:製品やサービスの開発者
④マーケティングスペシャリスト:データからユーザーニーズを掘り起こす
⑤データアナリスト:データ分析、テスト、レポートなどを担当
⑥プロダクトデザイナー:ユーザーが使い続けたくなる製品デザインを作り改善する

一方、金山氏の『いちばんやさしいグロースハックの教本 人気講師が教える急成長マーケティング戦略』では、最低で3名が必要としています。

<金山氏が考えるチーム構成>
①ハスラー:プロジェクトリーダー
②ハッカー:エンジニア
③ヒップスター:UXデザイナー

どれが確実に正解というわけではなく、この役割をそれぞれ複数人が担うこともあれば、全てを一人で行うケースもあります。

また金山氏は同書の中で注意点として、マーケティング部門出身者ばかりのチームにすることは避けなければならないと指摘しています。ユーザー獲得の施策ばかりが先行し、製品の改善につながる改善策が出てこなくなり、予算が尽きたらプロジェクト終了になる恐れがあります。

グロースハックではユーザーに求められるプロダクト(製品・サービス)そのものを開発し、そのプロダクト自体にユーザーを獲得し成長する仕組みを入れるため、開発ができる人間を必ず入れる必要があります。その上で、これまで見てきたグロースハックの基本の流れをもとに、ユーザー獲得とプロジェクトの成功を目指すために必要な役割をつくり、人数を割り当てるとよいでしょう。

(2)資質がある人材を起用・育成する

グロースハッカーの3つの側面

グロースハッカーとは、グロースハックを用いてプロジェクトの成長を担う人=プロジェクトマネジャーといえます。一方で、市場動向を調べデータ分析するマーケターとしての側面、ユーザーに価値を感じてもらえる製品を考え開発するUXデザイナー・エンジニアとしての側面(スキル)全てが必要です。

①マーケター:データ分析のスキル

データを必要なツールで測定し、データを元に仮説(そのプロダクトに需要があるか)を立てます。市場に投入した後は、仮説をデータから検証する能力も必要です。

②UXデザイナー/エンジニア:ユーザー体験(UX)設計と製品開発のスキル

「市場ニーズのある製品を生み出す」という意味では、グロースハッカーは根本的には製品開発に関わると言えます。よって、製品やサービスのことを誰よりも理解し、どうすればUX(ユーザー体験)を向上できるかを考え、設計することは必須の能力です。

③プロジェクトマネジャー:プロジェクトを滞りなく進行させるスキル

グロースハックの目的は「成長」、それも「急激な成長」です。UXデザインや開発ばかりに注力しても成長に結びつかなければ意味がありません。バランスよく全体を統括できる資質のある人がグロースハッカーとして向いていると言えるでしょう。そのためには以下のようなプロジェクトマネジメントの能力が必要です。

<プロジェクトマネジメントに必要なスキル>
・スケジュールを管理する
・関わる人との接点を作り交渉する
・全体の進捗を俯瞰できる

(3)失敗が許される環境を作る

グロースハックでは短期間に多くの施策を打ち出し、実行し、ユーザーからの情報を分析してその製品・サービスが本当に必要とされているか判断し、成長の見込みがあれば改善し…というPDCAサイクルを高速で行います。

逆に言うと、失敗することが前提として含まれています。グロースハックで成功している企業でも、打ち出した施策が全て成功しているわけではありません。10のアイデアのうち1つ成功すれば大成功とする意見(※)もあるほどです。そのため、失敗がある程度許される環境をつくる必要があります。

※金山裕樹・梶谷健人『いちばんやさしいグロースハックの教本 人気講師が教える急成長マーケティング戦略』インプレス、2016年

大切なのは失敗したらすぐにその企画は止めてしまい、新しいアイデアの実現に取り掛かれるか。ニーズはあるのに継続して使ってもらえていないなら、その問題点を仮説として立て、分析結果と合わせてよりニーズに即したものに作り替えていくことができるかです。

払拭しておきたい2つの思い込み

最後に、グロースハックを初めて導入した時にありがちな間違った思い込みを紹介します。

(1)データ分析は「目的」ではない

データ分析を行っていると、つい「分析すること」に満足してしまいがちですが、分析とレポートだけではその製品・サービスが成長することには直接つながりません。

グロースハックは数値データを集め分析し、それをもとに施策方針を決めます。また成果も数値で可視化されます。分析とレポートから見えるユーザーのニーズを的確につかんだうえで、製品やサービスへ落とし込み改善しユーザーの満足度を上げ、さらなるユーザー獲得へとつなげていくこと、すなわち「成長」が「目的」です。データ分析は「手段」であって、最終的な目標ではないことに注意しましょう。

(2)一つのアイデアだけで急成長は難しい

DropboxやTwitterの事例から、グロースハックには一つのアイデアだけで大きな成長をもたらすイメージがありますが、実際は小さな成功を積み重ねていくことがほとんどです。これをエリス氏は「預金が複利で増えていくように、地道な歩みが飛躍につながる」(※)と表現しています。

※ショーン・エリス、モーガン・ブラウン『Hacking Growth グロースハック完全読本』日経BP、2018年

そのためにも、多くのアイデアや施策を次々に形にしてトライ&エラーを繰り返すことが大切です。例えば、初めのうちは週1回の頻度で一つの施策のPDCAサイクルを回し、慣れてきたら同時に回す施策の数やPDCAサイクルの頻度を増やしていくと効果的でしょう。

まとめ

この記事では、グロースハックの成立の経緯と意味、成功するためのポイントを解説しました。

グロースハックは特に予算や時間の限られるスタートアップには有効な成長手段です。近年のめまぐるしく変化するマーケット情勢にも適した手法と言えます。これまでDropboxをはじめFacebook、Twitterなど多くの新興企業や新規プロジェクトが活用し、急激な成長を果たしています。

従来のマーケティングと比べ、そのスピード感や施策のリリース回数、トライ&エラーを繰り返すといった点で手法が大きく異なっているため、専門チームをつくりグロースハッカーを採用または育成する必要があります。グロースハッカーはプロジェクトマネジャーであり、エンジニアであり、UXデザイナーであり、マーケターでもあります。どれか一つではなく複数の資質を持ち、実行して続けられることが大切です。また失敗を恐れずチャレンジできる環境をつくることが企業全体の成長につながるでしょう。