本記事は、山田順氏の著書『日本経済の壁』(エムディエヌコーポレーション)の中から一部を抜粋・編集しています。

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2075年、日本は世界のトップ10にも入らない

ここで改めて、世界における日本の経済力の位置を見ておきたい。次は、2022年の世界のGDPランキング(IMF)のトップ10(図表11)である。

日本経済の壁
(画像=日本経済の壁)

いくら腐ったとはいえ、日本は依然として世界第3位の座を維持している。しかし、それも、2023年いっぱいという見方がある。それは、第4位のドイツに抜かれる可能性が出てきたからだ。

IMFの予測では、2023年から2027年までは日本が第3位を保てることになっている。しかし、ドル円が130円台後半から140円台で推移した場合、ドイツのGDPは2023年中にも日本を上回るというのである。

日本のGDPは高度経済成長期の1968年に西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ世界第2位となった。しかし、2010年に、台頭する中国に抜かれて第3位に転落した。

とはいえ、国力の源泉ともいえる人口は、中国は日本の約11倍もあるので、GDPの総額で抜かれたとしても仕方ないと言える。

しかし、ドイツの人口は約8,000万人で日本より約4,000万人も少ないのだ。いかに、日本が稼ぐ力を失ったのかがわかる。

2022年12月に公表されたゴールドマン・サックスの未来予測リポート「2075年への道筋」(The Path to 2075 — Slower Global Growth, But Convergence Remains Intact)では、いまから約半世紀後の世界各国のGDPが示されている。

それによると、2075年のGDP世界第1位は中国(約57兆ドル)で、第2位はインド(約52.5兆ドル)、第3位はアメリカ(51.5兆ドル)となっている。

インドは2030年までに日本を抜き、2075年までにアメリカを抜いて世界第2位の経済大国になる。その一方で、日本は現在の第3位から、2030年に第4位、2040年に第5位、2050年に第6位と〝ジリ貧”を続け、その後、急低下して2075年に第12位まで後退する([図表12]を参照)。

日本経済の壁
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この間、日本のGDP成長率は0.0%として試算されているが、はたしてそうなるだろうか?

2075年、日本の上には、インドネシア、ナイジェリア、パキスタン、エジプト、ブラジル、メキシコなど、現在新興国と言われる国々が並んでいる。日本のGDPは約7.5兆ドルで、その経済規模は中国、インド、アメリカの7分の1程度になり、経済大国とは言えない状況に陥る。

「日本が強い国」は単なる希望的観測

かつて私は、『資産フライト』(文春新書)という本を書いていた。それは、2011年、東日本大震災が起こった年の秋だった。国内では「復興」が絶え間なく唱えられ、多くの被災者が生活に困窮しているなか、一部の人々は日本に見切りをつけ、〝金融ガラパゴス”の日本から資産を海外に移していた。

当時ドル円は、1ドル80円のラインを割り込み、10月末には史上最高値の75円32銭を付けた。

いまとなれば夢のような話だが、あのときの円はたしかに強かった。しかし、日本の実体経済と財政はボロボロだったから、円高は為替相場特有の見せかけに過ぎなかった。そのため、こんなことは国力から見て続かないと判断した人々が資産フライトに走ったのである。

それでも、国内では絶え間なく「日本は強い国です」「日本の力は団結力です」というようなスローガンの下に、復興が唱えられていた。残念ながら、「日本は強い国」は幻想だと私は思った。そうでなければ、あのときに『資産フライト』のような、愛国心のかけらもないと思われる本を私は書かなかっただろう。逆に言えば、私は愛国心が強いから、あの本を書いたのである。

「日本は強い国」というのは、太平洋戦争中の「神国ニッポン」と同じで、単なるスローガンであり、現実ではなかった。英語で言う「Wishful Thinking」(希望的観測)に過ぎなかった。

その後のアベノミクスは、このことを際立たせることになった。

いったん先進国になった国は転落しない

東日本大震災からさかのぼること10年、私は、2002年に『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日 ── 最後の社会主義国家はいつ崩壊するのか?』(ベンジャミン・フルフォード著、光文社ペーパーバックス)という本を編集・出版し、世に問うた。

「不良債権はなぜ処理できないのか?」「構造改革はなぜ進まないのか?」を追及し、日本の未来がアルゼンチンのような状態になるのは確実だとする警告本だった。

2002年4月20日、アルゼンチンはデフォルトした。「バンク・ホリデー」(預金封鎖)が実施され、外貨(ドル)預金は強制的にペソに換えられた。その惨状を目の当たりにして、構造改革はかけ声だけ、株価は下げ止まらず、失業者が街にあふれていた日本を、「すでにアルゼンチン状態」だと、ベンジャミン・フルフォードは指摘した。

民主革命、産業革命が起こり、近代資本主義が成立してからこのかた、先進国として繁栄してきた国が衰退を続け、ついには破綻した例はない。近代資本主義は、先行者に圧倒的に有利なシステムであって、一足先に近代化を達成した国は、その後も豊かな社会を持続している。

しかし、その例外に日本はなろうとしている。アルゼンチンも例外の一つと言えるが、この国の繁栄は主に農業によってもたれされたのだから、日本とは違う。

しかし、いったん先進国になった国が、その地位を失うという意味では変わりない。

歴史のアナロジーならポルトガル

歴史には不思議なアナロジーがある。

『資産フライト』でも考察したが、日本はアルゼンチンになるというより、ポルトガルになってしまうというのが、私の見立てだ。

ポルトガルは、16世紀にはスペインと並んで世界を二分した大帝国だった。キリスト教も鉄砲も、欧州文明はみなポルトガルが日本にもたらした。

しかし、その後のポルトガルは、オランダ、イギリスのように資本主義が芽生えず、自由社会が形成されなかったため、18世紀になると明らかに衰退に向かった。そこに襲ってきたのが、1755年のリスボン大震災と大津波だった。

リスボン大震災のマグニチュードは8.7とされ、津波による死者1万人を含む、5万5,000人から6万2,000人が死亡したとされている。この地震と津波で、当時のリスボン市内の建物の約9割は破壊され、民家から宮殿までがことごとく失われた。まさに、東日本大震災に見舞われた日本と同じである。

震災後、まだポルトガルには底力があったので、リスボンの街は復興した。王は新しい都市計画を立て、それに基づいて街づくりが行われた。しかし、新しい街はできたが、1度失われた産業は戻らなかった。

こうして、ポルトガルはその後250年間にわたり、〝失われた歳月”を重ねてきたのである。

震災後まったく変わってしまった国民性

近代以降のポルトガルは、数々の変遷を重ねてきたが、本当の意味での民主制が成立したのは、1974年の「ポルトガル革命」で第二共和制となってからである。それまでは、ナポレオンに征服されたり、王政は倒れたが独裁政治が続いたりと、前述した「収奪的制度」から脱出することができなかった。

しかも、海外領土のほとんどを失い、EUに加盟したとはいえ、恒常的な経済不振、財政難でEU内でも劣等生扱いである。

ポルトガル人は、リスボン大震災の後遺症で、国民の意識、すなわち国民性がガラリと変わってしまったと言われている。世界帝国だったころのポルトガル人は、富にはどん欲で、それが大航海時代を実現させる原動力になった。当時の航海は命がけだったから、荒々しい気性がポルトガル人の特徴とされていた。

しかし、いまのポルトガル人は、陽気だが、おっとりしていて、時間やお金に対してルーズだ。おしなべて仕事熱心ではなく、会社はよく休む。毎日の暮らしを楽しめばいいという人々がほとんどだと、リスボン在住の私の知人は言う。

このポルトガル人に、現代の日本の若者たちの姿が重なる。総じていまの若者たちは、一部の有為ある者をのぞいておっとりしている。「草食系」と言われるように、すべてに淡白で、すぐ諦めるきらいがある。

「弁当男子」(毎日、節約のために自分でお弁当をつくって会社に持参する男性社員)を見ればわかるが、彼らはほぼ「小さな幸せ」(スモールハッピネス)を追い求めるだけで、おカネに対するどん欲さがない。

愛国心を押さえ込んであえて言うが、やる気がある若者は、みなこの国を出たほうがいいと、私は思う。このままでは、国家と無理心中するだけで、将来が暗過ぎる。

日本経済の壁
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。立教大学文学部卒業後、光文社に入社。『女性自身』編集部、『カッパブックス』編集部を経て、2002年、『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長を務める。2010年より、作家、ジャーナリストとして活動中。主な著書に、『出版大崩壊』(文春新書)、『資産フライト』(文春新書)、『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP研究所)、『永久属国論』(さくら舎)などがある。翻訳書には『ロシアン・ゴットファーザー』(リム出版)がある。近著に『コロナショック』、『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)がある。

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