(本記事は、久慈直登の著書『経営戦略としての知財』株式会社CCCメディアハウス2019年4月20日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

データを取りにいく時代

変化
(画像=13_Phunkod/Shutterstock.com)

GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)の話は、データの利用によるビジネスのサクセスストーリーである。

これまでは、企業が自らの企画の下に新しい技術を開発し、商品化することにより、新しい市場が形成された。企業はそれぞれが限定的な市場調査をしながらも、独自に商品企画を行ったが、企業の思い込みがベースになっており、ヒット商品もあればハズレも多かった。市場は企業発の商品企画によってリードされており、消費者は与えられた商品を受け取るだけで、意見を言う機会も少なかった。

新しい変化は、消費者のニーズがデータとして整理され、ニーズに合わせて商品が企画されるようになったことである。消費者のニーズは多様であり、それに合わせて商品やサービスを提供しなければヒットしない。商品の性能や品質は、ネットワーク上で他社の商品とすぐに比較される。この状況に適応するには、企業がビジネスとしてネットワークに入り込み、ネットワーク内で消費者が何を求めているかを知るという行動が必要になる。

自動車の技術を自動車会社が研究開発するとき、これまではエンジンや車体の改良を既存の技術の延長線上で、自分たちでこれがいいという思い込みで作ってきた。そこに消費者ニーズというデータを入れて考えるならば、都市交通のあり方、社会インフラとして自動車に求められるもの、他の交通手段との関係などの新しい視点が付け加えられる。

データは、工夫をしながらこちらから取りにいかなければならない。座して待っていてもデータは来てはくれないため、社外に向かって手を伸ばすしかない。オープンイノベーションやネットワークの利用が、手を伸ばす手段になる。

AIの躍進

もう一つの変化が、AIである。

AIは、1950年代から研究が行われていたものの、2015年までは電卓の延長線上でしかない。データを入力した範囲で早く計算する、という機能を改良し続けてきただけであった。

計算だけで起こりうる可能性を確率として出したとしても、現実世界はもっといろいろなことが起きてしまう。正規分布曲線では、統計的に最も高い確率は曲線上のピークとして示され、そのピークから徐々に裾野にゆくにつれ可能性は低くなり、その先はゼロに近くなって、ほとんど起こらない。

計算上の確率としてはそうだが、現実世界ではこの裾野のあたりで様々なことが起きる。

例えば、100年に一度と言われるようなサブプライム問題のようなことも、起きるときには起きてしまう。そうすると、確率の計算というアプローチだけでは、実は頼りにならない。確率の低いところで現実に何かが発生してしまうことをファットテール問題と言うが、この問題は電卓の延長では対応できない。

例えば、自動運転を確率計算だけで行うと、事故だらけになるであろう。

自動運転は、まず自分が今いる場所を特定し、次にA地点からB地点に行くという行動計画を立て、実際に動き始めて自分の周囲の歩行者や障害物、他の自動車の場所や動きを把握し続け、自分の動きをアクセルとブレーキとハンドルとでコントロールする。計算をし続けて確率を割り出したとしても、突然の霧や雷雨や逆走の自動車が来るなどのファットテール問題が生じると、対応できなくなる。データ処理に膨大な時間がかかり、計算した結果は応用がきかず、汎用性がない。

AIのブレークスルーは、GPU(Graphics Processing Unit:リアルタイム画像処理に特化した演算装置ないしプロセッサ)を使ったことであった。画像処理用のGPUを使うとパターン認識をしながら大量のデータを処理することができ、パターンとして特徴的な部分を認識し、応用が可能になる。霧も雷雨も、パターンの一つでしかない。

AIは、生物の脳を構成する神経細胞(ニューロン)を接合したネットワークを、工学的に再現しようとしている。ここにGPUを使うことによって、イメージを理解する生物の脳に近づいたと言える。GPUによるイメージの使い方は、人間の右脳の処理に似ている。

ともあれ、AIの進化はこの数年間の出来事である。これにより、世界が変わることになった。AIの研究が始まって、ここまで辿り着くのに50年以上かかり、この数年でいきなり実用化した。

それでも、まだ計算には時間がかかる。

そこで、量子コンピュータの可能性が浮上する。量子コンピュータは、量子の振る舞いを用いた計算システムである。例えばある状態が共存する、というのが量子の振る舞いの特徴の一つだが、その特徴を2ビットの0と1の状態だけではなく、その二つが共存する状態を作って並行で計算処理をすれば、2ビットの計算より速くなる。

量子の右回りスピンを0、左回りスピンを1として、共存するなら二つの量子で00、01、11、10が表現できる。それだけ聞いても何やら速くなりそうだが、それに量子エンタングルメントという量子同士の関連づけの概念を入れると、もっと速くなるらしい。

量子コンピュータは、実用は先としても、どこで使えば役に立つかという検討はすでに盛んに行われている。膨大なデータの処理を短時間で行うのに適しているため、新薬や材料の開発、金融ビジネスモデル、物流の最適化、リスク分析などが、最初の候補になるようである。

IBMの2017年末のプレスリリースによると、どこで量子コンピュータを使えば役に立つか、という検討をすでに、ホンダ、ダイムラーなどの自動車会社、JPモルガン・チェースなどの銀行、オックスフォード大、メルボルン大などの大学などと共同でスタートしている。こういうニュースは、さらっと出てくるが、将来の重要な方向性を示している情報である。情報感受性を高めるのは、こういう情報をマークし、自社は参加すべきかどうか、我が身に問うことである。将来の技術の芽のニュースはこの数年急速に多くなっており、それもさりげなく表示される。

AIの社会との関わり方

データとAIの組み合わせにより、変化は加速する。

AIがより賢くなるためには、大量のデータが必要である。大量であればあるほど、勉強し、賢くなれる。大量のデータの置き場所が自分のサーバーしかなければ、容量の限界に直面するが、クラウドの利用によって大量のデータを扱うことができる。

AIが進化し、クラウドにより大量データも使えるという絶妙のタイミングが一致したのが、今である。

AIがデータに基づいて学習し、可能性の高い結果を示せるようになったことにより、その応用としてロボットやマシンに工学的視力を持たせるマシンビジョン、言語処理など、一斉に開花するがごとく、世界中で検討され始めている。

AIは、人間でなければできないと思われていた仕事を代替することができる技術である。人間の知性の代わりであるなら、AIは人間が使えるテクノロジーであれソフトウエアであれ、みな使える可能性がある。そうなると、人間を主体とする倫理や規範、人間の故意過失を理由にする法的責任など、これまでのルールをどのように当てはめるか、早急に検討しなければならない。

AIによる自動運転車が起こした事故の責任は、AIの設計者にあるのか、管理者にあるのか、それとも形式的にドライバーシートに座っている運転者にあるのかという問題も含めて、世界中でAI関連の法的問題について今のうちに早く対応を決めなければいけないと言われているが、まだ一歩を踏み出したところである。

AIの可能性は法学者たちにとってはまだ空想するしかなく、人によって想定が少しずつ違い、議論があまり嚙み合っていない。弱いAI、強いAIといっても、誰も明確な区別ができているわけではない。

AIはいずれワンチップ化され、人間の脳も含めて、あらゆるところに使われるだろう。

ターミネーターのT-800の頭脳に使われたワンチップは、もうすぐそこにある。それにしても、今から35年前の1984年に製作された映画にAIのワンチップが登場している。あの時点でT-800を考え出したシナリオライターは、未来を見てきたのかもしれない。T-800は映画のシナリオ上では2029年の世界から来たことになっているので、現実社会のワンチップもあと10年ぐらいはかかるかもしれない。

経営戦略としての知財
久慈直登(くじ・なおと)
日本知的財産協会専務理事。元本田技研工業知的財産部長。
1952年岩手県久慈市生まれ。学習院大学大学院法学研究科修士課程修了後、本田技研工業株式会社に入社。初代知的財産部長を2001年から11年まで務めた。
11年よりIP*SEVA(日米独の技術移転ネットワーク)ASIA代表、12年より日本知的財産協会専務理事、知財関連の5団体の理事、14年より日本知財学会(IPAJ)副会長を務めている。
著書に『知財スペシャリストが伝授する 喧嘩の作法』(ウェッジ)がある。

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