本記事は、Hamish McKenzie氏(著)、松本剛史氏(訳)の著書『INSANE MODE インセイン・モード イーロン・マスクが起こした100年に一度のゲームチェンジ』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています

テスラの市場価値を80億ドル減少させた「炎上」事件の顛末

炎上事故
(画像=toa55/PIXTA)

リチウムイオン電池のセルには液体のエレクトロライト(電荷の流れを促進する媒体)が含まれているが、これがきわめて引火性が高く、破損によるショートが起こるなどして電池の電極が熱くなりすぎると発火に至る。

電池をちゃんと使ってさえいれば、こうした発火はごくまれで、セル1億個につき1個の割合でしか起こらない。発火のリスクは冷却システムでも減らせる。テスラのエンジニアは液体グリコールを使って電池を冷たく保つシステムを開発した。

液体グリコールとは、自動車のエンジンを冬には凍結から、夏には過熱から守るのに通常使用される一種の不凍剤で、それがバッテリーパックの内部にくねくねと伸びる金属のチューブのなかを通って行き渡る。このシステムはセルを急激に冷やし、またセル同士を分離することで、ひとつのセルに火がついても他のセルには燃え移らないような設計になっている。

だがどれほど完全なシステムでも、まちがいが起こることはある。

2013年10月、そのまちがいが立て続けに起こりはじめた。6週間のあいだに3台のモデルSがつぎつぎ火災事故を起こしたことで、テスラの幸運続きに歯止めがかかり、その評判に暗雲が垂れ込めた。まだ成長期にあるテスラがその合法性をしっかり固め、一般からの広範な支持を得るために打ち克たなくてはならない主要な脅威が3つあるとしたら、炎上事故はなかでもとくに危険なものだった。

中期的には、クルマを直接販売する権利をめぐるディーラーとの戦いで、テスラの法的なエネルギーはかなりの消耗を強いられるだろう。また長期的には、自分たちのクルマが長距離走行を楽にこなせることを証明して、反対論者の誤りを正す必要もある。しかし2013年末にあった炎上との戦いほど火急の危機はなかった。

最初の炎上事故は10月の第1週に起こった。ワシントン州シアトル近郊のハイウェイでモデルSが金属の物体に衝突した。その物体が路面と車体の下側に垂直に挟まったことで、同車のバッテリーパックに穴が開いた。モデルSのコンピューターシステムはバッテリーの一部が破損したのを検知し、ドライバーに停止するよう指示を出した。モジュールから火が出たのは、ドライバーが車外へ脱出したあとだった。

テスラのエンジニアが講じた安全対策によって、火はクルマの前部にとどまっていた。ところが消防士が不用意にもバッテリーパックの金属製の防火壁を切り開いてそのなかへ放水したために、さらに穴が開いてそこから火が噴き出した。

その結果あたりは恐ろしい火炎地獄へと変わり、通りかかったドライバーたちは「おいおい、あれはテスラじゃないか!」と声をあげ、当然のようにその光景をカメラに収めた。テレビのニュース番組でそうした動画が取り上げられると、投資家たちはパニックになった。テスラの株価が29ドルから190ドルに高騰した数ヵ月にわたる騒ぎのあとで、株価は10パーセントも下落した。

写真映えするつぎの炎上は3週間後、メキシコのメリダで、劇的な高速での衝突事故の結果として起こった。時速180キロ近く出していたテスラがロータリーに突っ込み、縁石を5メートルに渡って削り取り、コンクリート壁をなぎ倒したあげく、立ち木に衝突して停とまった。

クルマは車輪2つを失ったものの、ドライバーは無傷ですんだ。今度も火が出たのはドライバーが車外に脱出してから7分後のことで、それも前部のわずかな区画にとどまった。破損があまりに派手だったので、テスラが火災の責任を負わされることはなかったが、それでも株価は3パーセント下がった。

さらにつぎの炎上が3週間後に起こると、テスラにもいよいよその熱が伝わりはじめた。このときはテネシー州で、ドライバーは牽引用の3球の連結金具を垂らし、ハイウェイを時速110キロほどで走っていた。すると連結金具が路面と車体の下側に挟まり、その衝撃でバッテリーパックに穴が開いた。コンピューターシステムが停止の警告を出した。ドライバーが脱出してから数秒後、煙が噴き出した。その数分後に火が出た。だが今度も火は車体の前部にとどまり、キャビンに損傷はなかった。

それでもメディアは即座に反応した。3ヵ月前にテスラは、モデルSは米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)から星五つという最高の安全性評価を得た、というお祝いのプレスリリースを出したばかりだった。そんな快挙のあとだというのに、メディアはテスラを懐疑のレンズを通して見はじめていた。

記者たちはこぞって、NHTSAはモデルSのリコールを命じるだろうか、テスラの評判は取り返しがつかないほど傷つくのではないかと憶測を並べた。ABCニュースは、一連の火災事故は「一種の聖域のようになっていた企業」への疑念をかきたてるものだと伝えた。

投資家たちもメディアの反応にならった。テネシー州での火災事故の翌週、テスラの株価はまた15ドル急落した。2ヵ月のあいだに同社の市場価値は80億ドル減少し、株価は最高時の191ドルから121ドルにまで下がった。NHTSAはこの問題を受けて調査を開始し、モデルSの安全性にスポットライトを当てた。

こうした緊張のさなか、CNNのインタビューに登場したマスクは、「ピストルの握りで殴られた」気分だと言った。「ケガ人もなく火が出ただけのわれわれの3件の事故が、死傷者を出した何十万件ものガソリン車の火災事故より大きな見出しになってる。正気の沙汰じゃない!いったい何が起こってるんだ?」

メディアがこの件を伝えつづけるあいだ、今回の炎上は電気自動車にとって危急存亡の脅威になりかねないと考えたマスクは、テスラのブログに記事を書いた。そして一連の炎上事故について説明したあと、わが社のミッションは、世界の持続可能エネルギーへの移行を加速することにある、もし世論が電気自動車に反対しようものなら何が失われることになるのか、と強調した。

マスクの指摘はさらにこう続く。モデルSの生産が始まってからの四年間に、アメリカだけでガソリン車の火災事故は25万件以上もあり、400人が死亡している。そのあいだ、モデルSは死亡者も重傷者も出していない。「モデルSの火災とガソリン車の火災とでは、メディアの取り上げ方に何倍もの偏りがある。

ガソリン車のほうがはるかに死傷者が多いというのに」。テスラはバッテリーパックの損傷による発火を抑えるべく、モデルSのソフトウェアをアップデートし、高速走行時の最低地上高を上げる予定でいる。また車体の下側に取り付けてさらにバッテリーパックを保護するシールドの設計にも取りかかっている、とマスクは言った。

NHTSAがワシントンとテネシーの火災事故でのテスラの責任について裁定を下す日がすぐ目前に迫ったころ、テスラはシールドの製造を終えた。このシールドは車体が路上落下物の上を通り過ぎるときにそれをどかせて砕くよう設計されていた。テスト時のテスラのカメラには、アルミのバーとチタンのプレートでできたシールドが、連結棒や発電機、コンクリートブロックをばらばらに砕くところが映っていた。

このシールドを世界に向けて紹介し、モデルSの耐火性能を強調するために、マスクはまたブログ記事を書いた。そして今度は、強い言葉以上のものを使って強調してみせた。くだんのシールドが異物をぱっと消し去るスローモーションの動画もいっしょに載せたのだ。「こうした修正によって、あのメキシコでの事故のような、クルマから車輪が脱落するほどの極端な高速での衝突でも火が出るのを防げるとわれわれは考えている」。同じ日にNHTSAは、一連の火災事故の調査を終了すると発表し、リコールに相当するような安全面での欠陥は認められなかったと報告した。

他のクルマと同じように、テスラの火災事故はときどき起こっている。2014年2月、駐車中のモデルSが発火し、車体と周囲のガレージが全焼した。2016年1月、ノルウェーのスーパーチャージャーで充電中のモデルSが炎上した。2016年8月、フランスでテスト走行イベント中のモデルSから出火。2016年11月にはインディアナポリスでモデルSが立ち木に高速で衝突、車体は炎に包まれ、乗っていた2人が死亡。2017年3月には英国のヨークシャーで駐車中のモデルSから出火。2017年10月にはハイウェイ上の衝突事故でモデルSが炎上し、消防士35人が現場に駆けつけた。

激しい炎やグロテスクに溶けた車体の映像は鮮烈だったが、それでも株式市場やメディアは、他のクルマでも火災事故は起こるというロジックを進んで受け入れ、以前のパニックのような反応を抑えた。テスラのビジネスは通常どおりに続いた。炎はもうテスラにとって脅威ではなくなったようだった。

INSANE MODE インセイン・モード イーロン・マスクが起こした100年に一度のゲームチェンジ
Hamish McKenzie(ヘイミッシュ・マッケンジー)
"PandoDaily"、"The Guardian"などに寄稿するテクノロジー及び社会問題専門のジャーナリスト。イーロン・マスク取材時にその手腕を評価され、テスラに入社する。退職後本書を上梓。出版スタートアップ企業Substack の共同創業者。
松本剛史(まつもと・つよし)
東京大学文学部社会学科卒業。翻訳家。主な訳書にフォード『ロボットの脅威 人の仕事がなくなる日』ダイヤー『米中 世紀の競争 アメリカは中国の挑戦に打ち勝てるか』(以上、日本経済新聞出版社)、ミエヴィル『オクトーバー 物語ロシア革命』(筑摩書房)、ストレッチャー『目的の力 幸せに死ぬための「生き甲斐」の科学』(ハーパーコリンズ・ジャパン)など。

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