(本記事は、岩下 智の著書『面白い!のつくり方』CCCメディアハウスの中から一部を抜粋・編集しています)

自分が見つけた「面白さ」を「言語化」する

言語化
(画像=GaudiLab/shutterstock.com)

さあ、いよいよ「面白い表現」のための最終段階に差しかかりました。「面白いもの」をよく「観察」したら、今度はそれを表現に応用できるように「変換」することが必要になります。この「変換」の有効な手段として考えられるのが「言語化」です。

ここでいう「言語化」とは、「インプットしたことをアウトプットしやすいように言葉に変換しておく作業」です。もちろん、ある程度の経験を積んでインプットに対する「慣れ」や「コツ」を体得してしまえば、そんなことをいちいち考える必要はなくなります。

しかし、面白いことをインプットするのにまだ慣れていない間は、自分の中でハッキリと言葉に変換しておくことをオススメします。

以前に「表現」はコミュニケーションそのものであるという話をしました。文学も音楽も絵画も、「表現」の先には必ずそれを見る相手がいます。表情や会話なども同様です。

コミュニケーションである以上、「面白さ」を表現するためには、「どうすれば面白さが伝わるのか」を自分の中で明確にしておく必要があります。

そのために必要なことが、自分の中でキチンと「言語化」しておく、ということなのです。ここからは「言語化」の重要性について、考えてみましょう。

これは「デザイナーあるある」なのですが、デザイナーは絵で伝えることを専門にしているので、往々にして「ビジュアルだけで十分伝わるだろう」と思ってしまいがちです。

例えばプレゼンテーションの場で、「これが今カッコいいんですよ」とか「そんなに文字が大きいのってダサくないですか?」などと説明しても、相手はなかなか承服することができないでしょう。そのような説明は、ただの抽象的なニュアンス・トークであって、何の説得力もありません。いくらキレイなデザインであっても、うまく言語化できないことには、相手にその魅力をうまく伝えることはできないのです。

なぜなら、多くの人が頭の中では基本的に「言葉」でものを考えているからです。私の知る限り、優秀なデザイナーほど自分の伝えたいことをうまく「言語化」する技術に長けています。もちろん、その場での話術や表情などによっても説得力は変わってきますし、絵だけで伝えた方がいいという場合もあります。

デザイナーというのは「直感」や「センス」だけを頼りにものを作る特殊能力の持ち主である、と考えている人も多いかもしれません。しかし、私個人の意見としては、それはちょっと違います。すべてにおいて理由のないデザインはない、と考えているからです。

そもそも私は、個人的には「センス」という言葉をあまり信用していません。何かといえば「最終的にはセンスの問題だよね」という意見で、大体のことが片付けられてしまうような、便利で曖昧な言葉だからです。特に、重要な決め事において「センス」という言葉で片付けてしまうのは、ちょっと危険です。

私が思うに「センス」というのは、ほとんどの場合において、ただの「判断力」です。

様々な局面で、AかBかどちらがいいかの線引きをどこでするか、ということの繰り返しにすぎないのです。

例えば、何かポスターをデザインすることになったとします。そのとき、ビジュアルを写真にするかイラストにするか、メインのモチーフは人物にするか風景にするか、書体はゴシック体にするか明朝体にするかなど、基本的には「判断」の連続なのです。その「判断」を繰り返しながら、全体の「解像度」を上げていくということが、デザインという作業の基本です。

そのときの「判断」というものを、理性で判断しているのか、直感で判断しているのかということで考えると、少なくとも私は理性で判断しています。なぜなら、直感だと自分にも他人にも説明がつかないからです。これは当然、人によって考え方の異なるところだと思います。しかし、「センス」でものを作っているにしても、それをうまく「言語化」できない限りは、人に伝わりにくいものにしかならないでしょう。

私は、よく若いデザイナーに「本をたくさん読んだ方がいいよ」ということを言います。

何だか年寄りの小言のようですが、キチンとした理由があります。オリエンテーション・シートなど世の中の多くの書類は、基本的に文字で構成されているからです。文章の内容を正しく読み取って、脳内で絵を描く「ビジュアル化」の能力こそが、デザイナーには必要なのです。

そのためには、何よりもまず「読解能力(=リテラシー)」が必要になります。そもそも、デザイナーが絵の勉強をするのは当たり前です。絵画や写真だけでなく、映画も漫画も、たくさん見た方がいいと思います。しかし、最初から「絵」が示されている表現だと、そこには既に「ビジュアル化の答え」が描かれているのです。そういう意味では、表現の参考にはなりますが、自分で絵を描くための訓練としては、実はあまりふさわしくないのです。

逆に、例えば小説であれば、登場人物や風景などを自分の頭の中で想像しながら読むことができます。こうした経験が、デザイナーにとって基本となる「ビジュアル化」の訓練になるのです。「言語」を「ビジュアル」に変換する能力が向上すれば、逆もまたできるようになります。「読解能力」が上がれば、「ビジュアル化能力」が向上し、それによって「言語化能力」も向上するというわけです。

「右脳」と「左脳」の違いはよく言われるところではありますが、ビジュアルを司る「右脳」と言語を司る「左脳」を行ったり来たりすることができれば、表現者としては万能なはずです。本を読むのが苦手というデザイナーは多いと思いますが、デッサンを100枚描けば誰でもそれなりに絵が描けるようになるのと同じように、活字の本を100冊も読めば誰でもそれなりに言語脳を鍛えることができるはずです。

「言語化」は、もちろんデザイナーに限った話ではなく、表現を専門としていない人にとっても大切です。SNSやメールでのコミュニケーションでも、絵や写真だけでは当然うまく伝わるはずがありません。だからこそ、Instagramのような写真をメインにしたコミュニケーションであっても、コメントやハッシュタグなどの文字情報が重要なのです。

誰もがメールやSNSを使うようになった現代では、生活の中で書く文章の量が、昔に比べて圧倒的に増えています。そういう意味では、誰もが普段から「言語化」の訓練をしているようなものなのです。

「言語化」ができると、物事を体系的に捉え、整理する力も向上します。そうすると、自分で考えたことを「構文化」することもできるようになります。

私は最近、これまでに自分が作ったものを振り返ってみたときに、ある傾向があることに気がつきました。その傾向を改めて「言語化」し「構文化」してみたところ、何となくある「法則」のようなものが浮かび上がってきたのです。

前に紹介した「SAZAE RADIO」や「会社員将棋」を思い出してみてください。自分の中でも特に気にしていなかったのですが、これらに共通して言えることは、

「冗談みたいなことを本気で具現化した」

ということです。

「貝殻を耳に当てたらラジオが聞こえてくる」、「将棋の駒を会社員の役職に見立ててみる」といったことは、言ってみれば「冗談」のようなものです。こういったことを、ただの「冗談」で済ますのではなく、本当に目に見える形に「具現化」してしまうことで、(自分なりに)面白いと感じるものが作れたのではないか、という風に分析したのです。

そして、この「冗談みたいなことを本気で具現化する面白さ」という「言語化」した面白さを、そのまま自分の中で「法則化」しておけば、何か別の面白い表現を考えるときに応用できるのではないか、と考えました。「法則化」といっても、何も難しいことはありません。ただ言い方を変えるだけです。次はその方法について、考えていきましょう。

面白い!のつくり方
岩下 智(いわした・さとる)
1979年東京生まれ。筑波大学芸術専門学群視覚伝達デザイン専攻を卒業後、2002年電通に入社。以来、アートディレクターとしてグラフィック広告のみならず、TVCM、Webサイト、アプリ開発、プロダクトデザイン、サービスデザイン、ゲームデザインなど様々な仕事に携わりながら、自らイラストやマンガも描く。
主な仕事に「Honda FIT」「KIRIN のどごし夢のドリーム」「bayfm SAZAE RADIO」など。国内・海外の広告賞受賞多数。筑波大学非常勤講師。
著書に「EXPERIENCE DESIGN」「IDEATION FACTORY」(どちらも共著/中国伝媒大学出版社)。
https://s-iwashita.myportfolio.com

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