ビジネスの組織論において、今では常識となっている考え方に「ライン」と「スタッフ」というものがあります。

ラインは、その企業が基本としている本来の企業活動を担当する部署です。例えば、その企業が製造業ならば、資材購買、製造、販売などが代表的なライン部門と言えます。ライン部門は組織の最上位から最下位までが一つの指揮系統で結ばれていて、権限や責任が明確に定められています。

それに対し、スタッフはライン業務を支援する部門で、総務・人事・経理などの専門スタッフと経営企画・戦略財務などを担当する戦略スタッフがあります。あくまでライン部門に対する支援という位置づけなので、ラインへの直接の指揮権はありません。

意外と知られていないのが、このラインとスタッフという用語がもともと軍事用語だったということです。ラインは第一線の「戦闘部隊」、スタッフは「参謀」を指します。

悲しいことですが、人間は太古の昔から戦争を繰り返してきました。そのため、軍隊は先史時代から存在し、同時にラインもその軍隊の歴史とともに大昔から存在していたと考えられます。一方で、スタッフという組織を歴史上初めて生み出したのは、プロイセン王国からドイツ帝国へと続く「ドイツ参謀本部」だったのです。

今回は、ヨーロッパの戦争から「ドイツ参謀本部」が誕生したプロセスを紐解き、ビジネスに置き換えた場合はどのようなことが見えてくるのかを考えていきましょう。

戦争を一変させたナポレオン

ドイツ参謀本部,ビジネス戦略
(画像=Matthew Leigh/Shutterstock.com)

ヨーロッパの歴史は戦争の歴史といっても過言ではありませんでしたが、フランス革命後に登場した軍事的天才=ナポレオン・ボナパルトによる戦争は、まさに全ヨーロッパを席巻しました。

ナポレオンの登場前の戦争形態は「制限戦争」と呼ばれるもので、憎悪や熱狂とは無縁の「王様のゲーム」のようなものでした。士官は貴族で、一般兵士は貧農の息子、失業者、傭兵で構成されていました。敵軍の皆殺しや徹底的な追撃などはできず、無理にしようとすれば王様の所有物である軍隊が痛手を受けることとなりました。

しかし、フランス革命はそんな事情を一変させてしまいました。「自由・平等・友愛」というフランス革命の熱狂は、フランス国民に愛国心を醸成させ、国民皆兵を実現させます。また、戦争に革命の大義が持ち込まれることで、兵士の士気が大きく高まりました。
投下された兵員の量、火力の集中的使用、驚くべき行軍のスピードによって、戦争は「無制限」となりました。ナポレオンは戦争を「王様のゲーム」から「国民の総力戦」に高め上げたのです。

ドイツ参謀本部の誕生

フランスの東に位置するプロイセン(ドイツ)は、ナポレオン率いるフランス軍に国土の半分を占領されるなど徹底的に攻撃されました。どん底まで落ちたドイツは軍制改革を断行し、常時作戦立案組織である「参謀本部」を生み出します。

フランス軍の組織は、軍事的天才であるナポレオンがラインのすべてを掌握するリーダー―ライン型の組織です。ナポレオンとの戦争を徹底的に研究したドイツは、これに参謀=スタッフという組織を設置して対抗するのです。

ドイツはやがて盛り返し、1813年10月のライプツィヒの戦い(諸国民戦争)でナポレオン軍を打ち破り、最終的にはナポレオンをセントヘレナ島へと追放することに成功します。

参謀の創設は、鉄砲の発明と同格のインパクトを戦史に与えたと言われます。ドイツの軍事組織のあり方は、その後軍隊だけでなく企業など様々な組織に参照され、大きな影響を与えることとなります。

ビジネスに活かすには

ここまでのお話しを現代の企業に適用すると、参謀本部は「経営企画室」に該当するといえます。この部署への経営資源投入は、企業経営にとって極めて重要となるでしょう。外部コンサルタントの活用も含めて、真剣に考える必要があります。

ただし、ドイツ参謀本部の歴史は栄光の歴史ではありません。2つの世界大戦の決定的な敗北を見れば明らかなように、どんなに優秀な参謀が優れた作戦を立案・上奏しても、リーダーの判断が間違っていれば戦争に負けてしまうことを示しているのです。

ライン部門のマネジメント能力とともに、スタッフの提案する経営計画について的確に評価できる判断力がトップリーダーには求められるのです。

参考図書:『ドイツ参謀本部―その栄光と終焉』(祥伝社新書)渡部昇一著(提供:自社ビルのススメ


【オススメ記事 自社ビルのススメ】
「都心にオフィスを持つ」を実現するには
資産としてのオフィスを所有し戦略的に活用するには
今の時代は「オープンフロア・オフィス」そこから生まれるイノベーションへの期待
自社ビルのメリット・デメリット
CRE戦略としての自社ビル